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主日礼拝宣教要旨

2015年2月1日「神の御名の意味」(斎藤信一郎牧師)

「神の御名の意味」 2015年2月1日  出エジプト記3章13~14節

 

3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

聖書には「神」と書く一般的な名称ともうひとつ「主」と書く神固有の名前とがあります。後者の方が聖書では特別な意味を持つ部分です。今回の日本語の聖書で「わたしはある」と神が語っておられる言葉がその神の名前です。ヘブライ語の文字を英語のアルファベットに直して表記するとYHWHと書いたものが神の固有名詞ということになります。これを見ても分かるようにもともとのヘブライ語には母音となるAEIOUの文字が存在しませんでした。そのため、そのままではどう読んでいいのか分かりません。モーセの頃は分かっていた神の名前の正式な読み方でしたが、十戒に「主の名をみだりに唱えてはならない」という戒めがあったため、イスラエルの民は聖書を読む時にもこの神の名前の部分に差し掛かると「われらの主」という意味の「アドナイ」という言葉を使って読み替えていました。そして時代が経つに従って発音が失われていったということです。その後紀元5~9世紀にかけてヘブライ語聖書の文字の下方に母音が付加されて読みやすくなっていきますが、昔はエホバと読まれ、今日ではヤーウエが一番有力な説になっていますが、正確なことはもはや分かりません。しかし、漢字には意味があるようにヘブライ語にも意味があります。YHWHとは最高存在という意味です。人類は神の名前どころか、神の存在そのものさえも軽んじるような過ちを犯しました。しかし、神はそんな私たちに聖書を通して、また御子イエス・キリストを通して見える形で私たちにご自身を明確に示し続けて下さっています。私たちはすぐに人の本質ではなく、肩書きや見かけで人を判断してしまいます。しかし、神は常に私たちの存在と人格に常に目を向けて関わって下さる方です。主の祈りにはそんな視点を大切にする祈りが冒頭に示されているのです。

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