マタイによる福音書5章10節
「義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。」
9つの信仰成長の段階シリーズもいよいよ大詰めを迎えました。これまで、信仰の成長段階をテーマにして来ました。ですから終わりの方はそれだけ難易度が高くなるのも当然です。最初の二つもそうでしたが、最後の8つ目と9つ目も簡単にはそれが幸いだと言えないものだということはすぐにお気づきのことと思います。
それでは8番目の義のために迫害される人々とはどういう意味でしょうか。これまで確認して来ましたように、義とは神が実現したいと願っておられるこの世における神の正義のことであり、キリストが命をかけてまで貫き通して下さった他者のために生きる人生のことです。キリストの弟子として徹底的に生きようとする者は遅かれ、早かれ犠牲を払うことが避けられなくなります。場合によっては迫害されることもあります。一度きりの人生なのにそのような生き方は損するように思うことがあるかも知れません。しかし、神が用意して下さっている天の国というのは、まさにそのような者たちが最大限評価され、用いられ、祝福される世界です。天の国とは相手のために心からどんな犠牲を払ってでも役に立ちたい、また幸せになってもらいたいという思いと行動が伴う世界です。
そのような人々に溢れた世界こそ、神が喜ばれる天の国ではないでしょうか。将来私たちが死んで行くことになる天国というのは迫害こそないけれどもキリストを筆頭に、人のために犠牲を払いつつ生きることを喜びとする人々で構成された世界のことです。そこに向かって共に成長し、神の義のために生きる者となって行きましょう。