ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

2015年11月1日「心の清い人」マタイによる福音書5章8節(斎藤信一郎牧師)

マタイによる福音書5章8節
「心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。」

 

キリストが最初にしたマタイ福音書に記録されている山上の説教の冒頭部分である9つの幸いは1分ほどで終わってしまう非常に短いものでした。しかし、そこに込められている豊かな意味を汲み取るために、私たちは3か月間に渡って一つひとつの幸いに耳を傾けています。そしてこれまで信仰の成長に欠かせない5つ目までの段階について確認して参りました。キリストの豊かな愛に満たされた者が次にどのような形でキリストに従うことができるのか…今回を含む残り4つの段階とは私たちの具体的なキリストに従う方法が示されています。

8節の内容はこれまで見て来た内容の中では一見すると極めて平凡な内容のように思えます。前半で強調されるテーマは心の清い人であり、後半は神を見ることがポイントとなっています。ただし、これまでの学びで明確になって来たこととは、結論部分は死んだ後に天国で体験する内容についてではなく、この世にいる間から始まるクリスチャンとして生きる豊かな人生が示されていることです。そうだとすると神を見るとはどのような意味に理解していくことができるのでしょうか。

これを紐解く鍵はキリストの様々な箇所での会話の中にあります。ヨハネ福音書14章9節「わたし(イエス)を見た者は、父を見たのだ。」、マタイ福音書25章40節『はっきり言っておく。わたし(イエス)の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』…つまり、心の清い人とは他者の中に、あるいは他者と共におられるキリスト(神)を見ることができる人のことです。そしてその苦しみ、悲しみの中にある人にキリストのように関わる時、私たちはその人を通して働かれる神の御業を体験する(見る)ことになるのです。試練の中にある人はもとより、敵の中にさえキリストを見出すことができる人、それが心の清い人であり、キリストの臨在を体験する人です。

関連記事

PAGE TOP