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主日礼拝宣教要旨

2015年10月25日「憐み深い人」マタイによる福音書5章7節(斎藤信一郎牧師)

マタイによる福音書5章7節
「憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。」

 

これまで確認して来た信仰成長の9つのステップとは…①天の父なる神を知る豊かさの中に生きる幸い、②救い主イエス・キリストによってあらゆる苦しみと悲しみを癒していただくことのできる幸い、③聖霊の助けによってキリストの柔和な人格を受け継ぎ、他の人と分かち合う者にされていくという幸い、④神が喜ばれる生き方(神の義)に少しでも応えて行きたいという思いが満たされていく幸いです。これらはすべて神が私たちに与えたいと願っておられる人生における必要不可欠な祝福ばかりです。

それでは9つのステップの中でちょうど真ん中に位置する5番目の幸いとはどんな特徴があるのでしょうか。5番目の幸いは9つの幸いの中で唯一初めの言葉と結論の言葉が共に「憐み」という言葉が用いられています。前半の4つと後半の4つの間を取り持つような形になっています。聖書で用いられる憐みという言葉は自分のはらわたが千切れるような痛みを感じるくらいに相手の苦しみを自分のことのように感じることを言います。キリストに従って歩み出す時、キリストの憐みの心に満たされて行きます。この意味はとても豊かで、自分自身がキリストから憐みを受けるばかりでなく、キリストのように他の人を愛することができる憐みの心を与えられていくという二重の意味があります。

クリスチャンとして生きるということは、神が望まれる生き方をしたいという(神の義)に満たされ、神の愛と憐みの心に満たされて生きる者にされていくという人生です。マザー・テレサがインドのスラム街で生きる希望を失い、絶望の中で生きている人々を自分の苦しみとして受け止め、キリストのように犠牲を払って宗教に関わらずその人たちを助け、最後まで看取って行った姿はまさにキリストの憐みを受けた者の姿です。憐みの心、これこそ今日全世界の人々が必要としているキリストの心ではないでしょうか。

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