「主の祈りに生きる」 2015年1月4日 ルカによる福音書 11章1~4節
11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。11:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
主イエスは弟子たちにご自分がどのように祈っているのか、その内容と順番を教えられました。ルカ福音書が伝える主の祈りこと主イエス・キリストの祈りは3つの部分に分けることができます。2節の神を中心テーマにしたもの。3節の自分の必要を中心にしたもの。そして4節の隣人を中心にしたものです。だれかに頼みごとをしてそれを叶えてくれた人に、次に会った時にはまずお礼を言うのが常識です。お礼もしないままに次の頼みごとをするのは礼儀に反することはだれもが理解していることでしょう。しかし、こと祈りにおいてはこの礼儀が無視されてしまうことはないでしょうか。主イエスは常に祈る対象が他ならない神であることをまず弁えて祈っていました。祈りの始めは常に主なる神が人生にどのように関わり続けて下さっているのか、そしてどのような御心を持っておられるのかに心を向け、賛美し、感謝してから次の祈りに移って行かれました。第二の祈りは個人や家族など、生活全般についての自由な神への願いの祈りです。神は具体的な祈りを好まれます。神に信頼してその日の必要について具体的に祈る主イエスの姿が目に浮かんで来るようです。そして第三の祈りは自分や家族を含め、隣人が直面する生きていく上での諸問題についての執り成しの祈りです。主イエスは互いに罪を赦し会い、平和な心で生きることと、罪の誘惑に負けないで生きることを執り成しの祈りの最重要課題にしていたことが分かります。これら三つの祈りはマタイ福音書22章37・39節に登場する聖書の中で最も大切な戒めだと主イエスご自身が強調しておられる、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する」ことと内容的に一致します。この一年、私たちも主の祈りに学び、主の祈りに生きる歩みを共に導いていただきましょう。