ようこそ西川口キリスト教会のホームページへ

地域と共に歩む桜並木の教会

教会員ページ
主日礼拝宣教要旨

2015年1月11日「主イエスのバプテスマ」(斎藤信一郎牧師)

「主イエスのバプテスマ」 2015年1月11日  マタイによる福音書3章13~17節

 

3:15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。…

3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

バプテスマのヨハネは罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマを授けていましたが、主イエスは人類史上唯一罪を神に対して犯したことのないお方です。それでは主イエスがバプテスマを受けた理由と目的とは何だったのでしょうか。二つの重要な理由が考えられます。第一にバプテスマは神の御前で行う人生における一大方向転換を意味する儀式であり、本来あるべき立ち位置に立ち返るという意味があります。主イエスが受けられたバプテスマはそのような献身の決意を込めたもので、それまで家業中心に生きてきた人生から、神から与えられていた人類の罪をあがなうという使命のために人生の一大方向転換をするものでした。バプテスマにはもうひとつ重要な役割がありました。主イエスは神の子ではありましたが、人間イエスとしては誘惑にも合えば、傷つけられれば痛みも感じ、殺されれば死ぬという人間としての限界を持ち合わせていました。これから本格的に神の使命に献身して生きるにあたって、主イエスも同じ信仰の仲間による祈りの支えを必要としていました。バプテスマ式は神の御前で新たな献身の決意を持って生きようとする者のためにとりなし祈る儀式でもあります。主イエスはこれからの非常に重要な使命の達成のためにバプテスマのヨハネとその弟子たちのとりなしの祈りを必要としていたのです。主イエスはこのような信仰の仲間たちによる祈りに支えられて新たな献身の道を開始されたのでした。17節にはバプテスマを受けられたイエスに対して神が御心に適う者と宣言し、祝福する言葉が語られています。バプテスマとは神の使命と神の家族である教会の祈りの絆の中に結ばれていく、クリスチャンとして成人していくためになくてはならいものなのです。

関連記事

PAGE TOP