たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。
コリントの信徒への手紙二 4章16節
その人がどれほど役立つかによって人間の価値を評価する社会では、仕事も名誉もなく、体力もない年寄りは、無用な人間と見なされるでしょう。しかし、聖書はそのような価値観に対してノーと言います。人間の価値はその存在の仕方にあるのです。人間は神に生かされているのですから、年をとって、体が動かなくなっても、意味のある存在です。神の目にはどうでもいい人や、必要とされていない人はいません。人は皆、置かれた状況は違いますが、神に愛され、神から役割をいただいて生かされているのです。
老いて、何もできなくなる時が来ても、決して自分を無用な人間と思うことはないのです。老いだけでなく、病気や挫折のため、自分では何もできなくなる時、これを受け入れて、私の人生を持ち運んでくださる神にすべてを委ねるのです。それが「神の国」に生きるということです。私たちは自分の弱さを知る時にこそ、私たちを包み生かす慈しみ深い神の恵みを知るのです。長く生かされた者は、多くの苦難をくぐり抜けて、それだけ神の祝福を知った者として、囲りの人々に神の祝福を祈る役割をいただいています。