マルコによる福音書7:1−13
主イエスの力ある言葉とわざは、次第に人々の注目を集めるものとなっていった。そこで、「ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった」(1節)。「エルサレム」は神殿があり権威あるユダヤの宗教の中心地であった。彼らは、ガリラヤで始まった主イエスの教えや行動をチェックし監視するために、そこから遣わされてきたのである。
その折、彼らは「イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいる」(2節)ことに目を留めた。つまり、弟子たちが「ユダヤの昔からの慣習を守っていない」ことに引っかかりを感じたのである。その慣習とは、「念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない」「杯、鉢、銅の器や寝台を洗う」(3−4節)などのことであった。「汚れた、洗わない手で食事をしない」というのは「衛生上の配慮」ということより、「聖なる民ユダヤ人」として「汚れたものから自らを隔絶し、線を引き、分離する」ことこそが重要だと考えた。そもそも「ファリサイ」とは「分離する」という意味であり、「汚れた人たちとは違う生き方をしよう」と努力したグループである。
では、その「汚れた」とはどのような意味であろうか。当時のユダヤ社会においては「病気」を始め、さまざまな事柄が「汚れ」として忌むものとされていた(cf.レビ記)。「異邦人」はもちろん「聖なる民」ではあり得ない。そして、律法を守らない、あるいは守ることのできないユダヤ人も多数存在した。「市場」(4節)のようなところでは、知らず知らずの内に汚れたものや汚れた人々と接触する可能性がある。それゆえに「聖なる民」であろうとする人々は、「汚れ」から自分を守るための「清めのアクション」として、帰宅後に手を洗ったのである。日本でも、例えば葬儀の後の「塩によるお清め」という習慣があるが、これも「死」「死者」を「汚れ」として捉え、そこから一線を画すというところから生ずるアクションである。「身を清める」(3節)ためには「水浴」がなされたが、水の少ない地域では苦労があったことであろう。そのため水が不足する場合には「砂」を用いることも可能であったという。
「昔の人の言い伝え」(3節)を守り、自らを清めるために手を洗う。それは「信仰」とどのような関係を持つのであろうか。 「言い伝え」は「律法をどのように解釈し、どのように日常生活に適応させていくか」ということを課題とし、伝承され、守り続けられていったものであった。そして「自らを清めるために手を洗う」という伝統は、「自分自身を聖別して、聖なる者となれ」(レビ11:44)、「自らを清く保ち、聖なる者となりなさい」(レビ20:7)という律法の解釈の一環として、生活に適用されていたものである。律法の文言を前にした時、そこには「それは具体的にこういうことだ」「こういうことをしてはいけないということだ」などの解釈が入らざるを得ない。そして、それを守らない者・守れない者は、「自分たちと違う」すなわち「罪人」として分離していくのである。彼らは「聖」という概念を「分離する」ことと解釈した。そして、具体的な日常生活の中で「聖なる領域」と「俗なる領域」を分離していったのである。
「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20:8)という律法を前にした時、彼らは「安息日は聖」「日常は俗」という宗教的な見解を加えた。これはあらゆる宗教に入りこみがちな発想であると言えよう。それは現代のキリスト教においても完全に克服された問題であるとは言えない。絶えず自らの信仰と姿勢とに吟味が加えられなければ、例えば、キリスト者は礼拝において主日ごとに新しく生命の恵みを頂き、御言葉に生かされる日常へと遣わされていくにもかかわらず、「日曜日に教会で礼拝に出席してさえいれば、ウィークデーはどうでもいい」という固定化された発想に陥らないとも限らない。我々も御言葉を聞き、自分へ語られ命ぜられた事柄として受け止め、具体的に解釈し、実践したいと願う。しかし、その中で生じ、付け加わる「教え」や「伝統」が固定化しやすいのが宗教なのである。
当時、ユダヤ社会の中で「昔の人の言い伝えを固く守って」(3節)生活していた人々は、前出の「安息日」についても「安息日は労働をせず礼拝をしていればそれで良い」「安息日に困っている人に出会っても、《助ける》という《労働》をしてはならない」と解釈していた。主イエスはそのような人々に対し「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである」(9節)と痛烈に批判された。この箇所には「あなたがたは自分の言い伝えを守るために、神の掟を無効にしているが、見事なものだ」という訳がある。「神の掟である律法に忠実に生きようとして言い伝えを固く守ることで、かえって神の御心から離れていく」有様への皮肉と言えよう。
続けて主イエスはひとつの例を挙げられた。「モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている」(10節)。彼らは、この掟を日常生活の中でどのように解釈し実践したであろうか。当時、「父と母を敬う」とは具体的に「父母の生活をサポートすること」を意味した。そこには経済的な問題が関わって来る。そのような意味で、「あなたの父母を敬え」(出エジプト20:12)という掟と「十分の一の献げ物」(レビ記27:30、申命記12章、14章ほか)の掟を字義通り守るのは大変困難なことであった。そのため、彼らの中には両者の整合性を保つための「言い伝え」が存在していた。「もし、だれかが父または母に対して『あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です』と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ」(11−12節)というルールである。主イエスはそれに対して「こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている」(13節)と指摘された。「神さま中心に生きています」と胸を張る人々の生き方は、人間の自己中心的な思いのために神から遠く離れてしまった。「神」という言葉を利用して自分の固執するところに安住しようとし、同じようにできない者たちを差別し切り離す、そのような生き方がどれほど神の御心から離れているか。主イエスはこのように切り離された「神の言葉」の「回復」のために、「神の言葉ご自身」としてこの世に来られたのである。
主イエスはかつて「安息日」の掟について、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2:27)と語られた。これはまことに革命的な言葉である。神の御心は「人が人として、神の恵みに生かされ神に応答して生きる」ところにある。そのために御言葉が与えられているにもかかわらず、その解釈と適用を固定化しそれに固執するとき、それが人を拘束していく。そのような生き方を否定し新たな方向を指し示された主イエスの前に悔い改め、従うことのできなかった人々が、主イエスを憎み、ないがしろにし、亡き者にしようとしていったのである。
我々も御言葉を生活の中で自分のものとして受け止め、解釈し、実践している。その中で、いつしか「信仰生活とは、礼拝とはこういうものだ」と固定化し、ルールを定め、それに従わなかったりそれを乗り越えようとしたりする他者を裁いてはいないであろうか。「信仰生活とは、こうでなければならない」と決めつける押し付けの言い方は、他者を拘束する危険性を孕んでいる。そのようなものに縛られるのではなく、あくまでも「御言葉に立ち返れ」と主イエスは呼びかけておられる。我々は常に祈りをもって、御言葉を新たに聞き続けなければならない。日々朝ごとに新たに祈りながら、自分の信仰生活、自分の信仰の実践、神への新たな応答の生き方を選び取っていかなければならない。それらは決して固定化されるものではなく、いつも主体的で新たな決断と選択が求められるのである。自分が祈りの中で聴き取った御言葉の解釈、そこから生まれる実践は、あくまでも神の前で今日、自分が選び取ったものであり、絶対化して他者に押し付けることのできるものではない。それは他者を排除する生き方である。
概して宗教の領域において、教えの解釈は固定化されやすく、伝統や習慣、伝承に権威が付与されてしまいやすい傾向がある。我々は常に問われ、悔い改め、祈りつつ聴き、信仰の生き方を柔軟に選び取っていくことができる。主イエスは我々が喜んで生き生きと神の前で生きていくことを願ってくださるからである。