わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。・・・わたしたちは心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。(コリントの信徒への手紙二 5章1、8、9節)
普通、人は死の現実から目をそむけようとします。そして、普段の生活では、死という数字や言葉を避けようとします。それは、死が恐ろしいからです。しかし、死の時は必ず来ます。例えば、癌を告知されて恐れ、驚き、当惑する日が来ます。その時、自分の死を自覚し、神を信じる人は、神に人生を感謝し、周りの人々にも感謝の言葉を語るようになります。
自分の死を受け入れ、これに備えるという心構えがあってこそ、私たちはかけがえのない命の一日一日を悔いなく過ごそうと努めるようになるのです。家族のきずな、人々との出会いと交わりがこの上なく切実なものになるのです。昔、読んだ本に、ある牧師が結婚式で若い二人に向かって、「あなたがたはいつか死によって分かたれる日が来ます。このことを覚えて、二人の絆を大切にしなさい」と語ったという話を、私は時々思い出します。