わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。・・・・・わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。 (ヨハネによる福音書15章1、4節)
私は次のようなイメージをする。神は御子を地上に送り、御子イエスというぶどうの木を植えられた。その木の枝から生まれた沢山のぶどうの房は地上の教会である。その一つが西川口教会であり、その房に連なっているのは私たちである。ぶどうの木が実を結ぶのを期待しているのは、木を植えた農夫、父なる神である。神が私たちに期待する「実」とは、「互いに愛し合う」ことである。私たちが愛の実を豊かに結ぶなら、父なる神は栄光を受ける。
主イエスは私たちに、愛の実を結べ、と命令しない。「わたしにつながっていなさい」と言う。地上に植えられたイエス・キリストというぶどうの木、教会につながっているように、と促される。教会につながっているとは、いつも主イエスに向き合い、み言葉を聞き、祈って生活することである。そして、主の十字架の愛を信じ、その愛の中に生きることである。そうすれば、互いに愛し合う実を結ぶようになるというのである。主が私たちの内に生きて働かれるからである。