事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。(テサロニケの信徒への手紙一 2章13-14節)
パウロは、説教は「事実、神の言葉である」と強調する。神は説教を聴く者の中に現に働いて、新しい人間を創造される。説教は、なぜ神の言葉なのか。説教者が語れば、なんでも神の言葉になるというのではない。パウロが説教したのは、イエス・キリストの出来事に基づく神の福音である。それは、彼が考え出した思想ではない。彼は、十字架と復活と再臨のキリスト以外のことを語らなかった。パウロは福音の伝達者、伝道者である。
説教は、聖書についての感想を述べることでも、信仰の体験談を語ることでもない。説教者はいつでも、イエス・キリストの出来事の証言である聖書から、神が語られる言葉を聞く。そして、そこから語る。この務めは、聖霊の助けなしに果たすことはできない。ゆえに説教者は、絶えず祈らなければならない。また、説教者は、聖書から神の言葉を正しく受け止めるために、日夜、神学する。神学は、神の言葉と教会に仕える学問である。伝道者として神に召された者が、神学校で学ぶのはそのためである。
今日も、説教を聞いて、それを神の言葉として受け入れる者の中に、神は働いて、神の恵みを知る人間、愛のために労苦する人間、希望に生きる人間を造ってくださる。