人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。(ガラテヤの信徒への手紙2章16節)
人間は、子供でも大人でも、その行動の如何ではなく、「あなたがいるだけで良い」と言われるとき、前向きに生きてゆけます。しかし、社会はそう甘くないし、人の心も変わりますから、いつ失望の憂き目に遭うか分かりません。聖書が告げる「福音」は、「神に義(良い)と認められる」ということです。神が「あなたはわたしの愛する子だ」と言っておられるということです。神に造られた人間は、神に義と認められてこそ、どんな状況の中でも前向きに、自由に生きてゆけるのです。私たちが神に義とされるのは、「信仰」によります。信仰とは、イエス・キリストに目を向けることです。キリストの十字架と復活に目を向けることです。十字架には、私たちに対する神の無条件のゆるしがあります。復活には、神のゆるしを土台とした「永遠の命」(神との揺らぐことのない交わり)があります。縦木と横木からなる「十字架」は、私たちが神に結ばれる縦の交わりと、私たちの横の対人関係が示されています。対人関係の前に神との関係こそ大切です。