この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。(ヘブライ人への手紙4章15節)
主イエスが十字架の死に至るまで、苦難の生涯において神の御心に従い、ご自分の務めを全うされたのは、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声を聞いていたからです。主イエスは死からの復活により、今は、天において、私たちの弱さを思いやることができる大祭司として、私たちのために執り成してくださいます。主イエスが「私たちの弱さを思いやることができる」のは、「あらゆる点において」私たちと同じように苦しみに遭い、試練を受けられたからです。「主の受けぬ苦しみも、主の知らぬ悲しみも、うつし世にあらじかし、いずこにもみ跡見ゆ。」(新生讃美歌550−2)
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか(16節)。祈りは、神の恵みの座に近づく合言葉です。神は十字架の死に至るまで従順に従われた主イエスを復活させられたように、苦しみの中で神に信頼して歩む私たち一人一人にも、同じ復活の喜びを約束してくださっています。;;”219″