むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。(エフェソの信徒への手紙 5章18-19節)
教会は、主イエスの復活に始まり、終末と呼ばれる「キリストの日に向かって」その途上を歩む一つの群れです。ゴールがあります。しかし、その途上には「神がおられるなら何故」という困難な出来事が繰り返し起きてきて、心が揺さぶられ、感謝できない日も訪れることでしょう。この手紙には、そのような時こそ、教会は「むしろ、霊に満たされ・・・霊的な歌によって語り合いなさい」と伝えています。
ここで用いられている「語り合う」との語源は、大人が語り合うこととは別の、幼子がたどたどしく話すことを意味していました。子どもは子どもなりの知恵を働かせて、通じ合う言葉を持っているようです。
パウロは、既に神の子とされ、光の中に移しいれられている私たちに、「知恵をつくして互いに教え、諭し合い、感謝して、心から神をほめたたえなさい」(コロサイ3:16)と奨めています。;;”218″