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2010年6月20日「神は思いのままに」

 そのとき、野のすべての木々は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。(エゼキエル書17章24節)

  「二羽の鷲とぶどうの木」のたとえ話(17:1−10)は、南ユダ王国末期の姿を描き出している。進む道を神に尋ねることなく、人間的な判断にのみ頼って無節操な外交政策を続けた南ユダ王国は、やがて滅びに至った。しかし神は我々の想像できないような展開を用意された。神に背きぬいてその裁きのゆえに滅びて行ったユダの王家の家系から「柔らかい若枝」(17:22)を興し、回復と救いの大きないのちの木であるイエス・キリストを我々に下さったのである。

 この「うっそうとしたレバノン杉」(17:23)が立った時、我々は再び思い知らされた。すべては神が思いのままに配置し、用いられる。人間が「あの木は高く立派だ」と判断しても、それが神の栄光を表わさないならその木は低くされ、そこから謙遜に神の栄光を仰ぐようにされる。神は枯らすことも茂らせることも、植え替えることも躊躇なくなさる自由と権威を持っておられる。

 主イエスの教会はまさにこの自由と権威のもとにある。自分勝手な「自己実現」は教会に相応しくない。神の願われる「わたし」の歩みが生き生きと喜びを伴って展開していく場が教会である。「わたしが・・・をしたい」と主張するに先立ち、神の計画と導きを祈り求めていきたい。;;”236″

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