「イザヤ書」の写本はほぼ正確なものである。それを証明したのが、100年ほど前に発見されたいわゆる「シナイ写本」の存在である。主イエスと同時代に活動したクムラン教団のものと想定される写本が、洞窟の中から発見された。その中に「イザヤ書」も含まれていた。「イザヤ書」の40−55章は無名の預言者(いわゆる「第二イザヤ」)によるものであるが、それはペルシャ王キュロスによる解放の頃のものであると考えられている。この部分には「主の僕の預言」と言われる箇所が4箇所含まれている。今日取り上げているのは、その中の4番目の預言である。
53章は「主の僕の苦難の生涯」について語るが、「わたしたちの聞いたことを誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか」(1節)と始まる。「主の僕」に関する神の計画、メッセージは、この預言者を含むユダヤ人だけではなく、それを聞いた人が誰も信じることのできないようなものであった。「御腕の力」とは「歴史に働く神の力」である。普通、神の遣わされる「主の僕」と言えば、誰が見ても栄光あるもののように想像される。しかしここで語られている「主の僕」は、それとは全く違い、「苦難そのもの」として「主の僕」の生涯が語られているのである。
「乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように この人は主の前に育った」(2節)という表現は、やがて主イエス・キリストを指し示すものと理解されるようになる。「若枝」は、水と栄養の豊かな土地では伸び伸びと育つことができるが、ここにあるような「乾いた地」では、かろうじて生きることのできる存在である。しかしその「若枝」は神に向き合って生きる。「見るべき面影はなく 輝かしい風格も、好ましい容姿もない」(2節)と語られているが、聖書は主イエス・キリストの容貌について語らない。絵画などでは美しい風貌で表現されることが多いが、ここでは「軽蔑され見捨てられるキリスト」の姿が指し示されている。
「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と」(4節)。「神は罪を犯したものを罰する」という思いはイスラエルの民の中に強く根付いていた。ある意味で、イスラエルが滅ぼされ捕囚の憂き目に遭ったことを「神の裁き」として受け止め、悔い改める動きが出てくる中で、イスラエルの民にこのような発想が生まれてきたと考えられる。
6節で人間は「羊の群れ」にたとえられている。羊は一回迷い出すと戻って来ることができない。「道を誤り、それぞれの方角に向かっていった」とは、神から離れて自己本位な生き方をする人間の姿である。そのような罪を神は「彼に負わせられた」。
人間の罪を一身に負い、「苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった」(7節)。人間の罪を代わって受ける「苦難の僕」が口を開かないのは、その罪のゆえの苦しみを自分自身で引き受けているからである。「苦難の僕」の従順な態度がここでは強調されている。
そのように死んでいった「僕」のことを、「わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり 命ある者の地から断たれた」(8節)とは誰も考えもしなかった。「苦難の僕」の孤独がここにある。端から見ればその「苦難の僕」自身の罪に対する「神の刑罰」のようであるが、これこそ、迫害し嘲る者たちのための大いなる「身代わりの死」であった。
これらの出来事はすべて「主の望まれること」(10節)であった。この「苦難の僕」の悲劇的な生涯の背後には、神の計画があった。それは「罪なき者の贖いの苦しみと死によって罪ある者が救われる」という逆説を伴う。「自らを償いの献げ物とした」(10節)この「苦難の僕」は、「子孫が末永く続くのを見る」(10節)。これは彼を救い主と信じる者が復活のいのちを受けることを「見る」と受け取れる。「苦難の僕」を打ち砕いた神は、砕くことによって「永遠に生かす」ことをその目的としたのである。
「苦難の僕」は「自らの苦しみの実りを見 それを知って満足する」(11節)。この出来事を通して救いにあずかる者たちのことがここで言われる「実り」である。そのような「実り」のあることが強く期待されている。「苦難の僕」の贖いの死によって、人間が悔い改め神に「正しい者とされる」(11節)ことが望み見られている。この「正しい者とされる」とは「義とされる」とも訳される言葉であり、元々は法廷用語である。それは「無罪と認めて釈放する」という意味合いを持つ。「倫理的に正しい人に変える」のではない、一方的な「無罪宣告」である。
「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし 彼は戦利品としておびただしい人を受ける」(12節)。「神」から「苦難の僕」が受ける「取り分」「戦利品」とは、彼が敵の勢力から奪い返したものを意味する。「コリントの信徒への手紙2」には「神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです」(2:14−15)。当時、戦争に勝つと将軍は戦利品を従えて凱旋更新をしたが、その際に香が焚かれた。キリストにとらえられた信仰者はキリストの勝利の行進に連なり、香りを放つのである。
「苦難の僕」は力によって勝利を得たのではなく、自分のいのちを全て注ぎ出し、罪人と同じ所まで低く下って苦難を負った。罪人と同一化され、人となり同じ所に立たれた。後の世のキリスト者たちは「キリストは、神の身分でありながら、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」(フィリピの信徒への手紙2:6−10)とその信仰を歌った。ペトロは「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』ののしられてもののりし返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻ってきたのです」(ペトロの手紙1 2:22−25)と書いた。」主イエスと共に生きその出来事を目撃した弟子たちは、預言がことごとく成就したことを知ったのである。