主はエリヤに「静かにささやく声」で語られた。(列王記上19章12節)
神の言葉を聞くところで、私たちは神とお会いする。そのために私たちは、日曜日に教会の礼拝を共にし、説教を聞くこと、また信仰者の集まりに出席して、信仰に関する話や、聖書の話を聞くことである。そして大事なことは、日々、自分で聖書を読み、静まる時間を持つことである。そうすると、最初は雑然としていた聖書の中から輝いてくるもの、心に語りかけてくるものに出会うのである。
私たちの人生には「神がおられるのだろうか」と思うような時がある。そのような時、神はいるのかいないのかと、頭の中で考えている限りは、神の語りかけは聞こえてこないであろう。大事なことは、聖書を通して、イエス・キリストによって、日々、私たちに語りかけてくださる神の「静かな細い声」を耳と心を澄まして聞くことである。そうすれば、運命とか、社会の状況や人の言葉に振り回されないで、「神共にいます」という信仰にしっかりと立って生きることができる。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩編46・10 口語訳)。;;”181″