アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」(創世記3章8、9節)
神は人間に園のどの木からでも食べてもよいという自由とともに、「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」という戒めを与えた。善悪について、人間が自分の判断を絶対化し、あれは悪い人間だと決めつけて憎んだり、排除したり、復讐することの禁止である。善悪の最終判断は神に属するのである。
ところが、人間は「神のようになる」という誘惑に抗しきれずに神の戒めを破った。その結果、神の顔を避ける人間、いちじくの葉で自分を隠そうとする人間になった。神に信頼しないで、神を斥けて自分の判断を絶対化し、自分で何もかもやってゆこうとした時から、人間の心に不安が住みつくようになった。その結果、人間は不安を隠すために、様々ないちじくの葉で自分を飾ることが人間の関心事となった。
神は、神の顔を避けて、身を隠している人間に呼びかける。「あなたはどこにいるのか」。神は御自分の方から、私たちとの関係を断とうとはされない。呼びかけ、語りかけて、私たちが答えるのを待っておられる。;;”237″