「あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。」(テサロニケの信徒への手紙一 4章1節)
信仰生活とは、キリストの道を歩むことである。私たちはイエス・キリストを救い主と信じ、バプテスマ(洗礼)を受けて、キリストの道を歩み始める。
キリストの道は生ける聖霊のキリストに伴われ行く道である。この道は誘惑と不安の多い世にあって、安心して歩むことができる確かな道である。この道は、キリストを信じて歩む道である。キリストを信じて、私たちは神がどのような方であるかを知る。神の真理は「信じて、知る」のである。キリストの道を歩む者は、何よりも、神の愛を味わい知る。この道を歩む者は、神の愛に応えて、日々、キリストの言葉を聞き、聖霊の助けを祈り求めて、「神に喜ばれる生活」を心がける。
パウロはここで、「神に喜ばれる生活」について、具体的に四つのことを取り上げる。第一は、結婚生活である。キリストの道を歩む夫や妻たる者は、性的不品行を避け、互いに「尊敬の念をもって」生活する。第二は、社会で出会う隣人を「踏みつけたり、欺いたり」しない。隣人の人権を尊ぶ。第三は、教会の兄弟愛である。それは個人的な愛情に基づく家族愛とは異なる。兄弟愛とは、互いに神の子とされている者であることを認め合い、受け入れ合うことである。第四に、この道の目的地は主の再臨によって成就する神の国である。主の再臨を待ち望みつつ、この道を歩む者は決して世から遊離せず、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励」む。「自分の仕事」とは、職業だけではない。勉学、育児、介護、歳を取ること(ヘルマンホイベルス)、病気に耐えることも、仕事である。「もし明日、主が来られるとしても、今日、私はりんごの木の苗を植える」(ルター)。;;”229″