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2009年4月12日「天国への希望」

「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」(Ⅰテサロニケ4章14節)

 アカデミー賞を得た映画「おくりびと」は、美しい日本の自然を背景にした、死者を丁重に装って送る納棺師の物語である。死者を送る営みは悲しむ遺族を慰める。しかし、「おくりびと」が死者をどこに送るのかは語らない。死は、生活が充実しているように見えても、そのすべてを無にしてしまう。死の不可解とその虚しさに、誰もが耐えている。私たちは自分が死ぬということをどう考えるか。この問いに答えるのは科学ではない。キリストの福音はこれに答える。

 冒頭の言葉のように、キリスト者は死を「眠り」と言う。天国の朝を迎えて目覚めるからである。キリスト者の死後の希望は、天国において古い罪の体が贖われ、神との交わりと人との交わりが全く新しくされることである。今、私たちを捉え、「あなたはわたしの愛する子だ」と呼んでくださる父なる神の御顔を、より近くに見ることである。

 その希望の根拠はイエス・キリストの死と復活である。キリスト教の信仰は、イエスの教えだけを信じるのではない。神が世に遣わされた独り子イエスは、身をもって神の愛を示し、私たちの罪のために死んだこと、神はこのイエスを死から復活させて、私たちの救い主として立てられたことを信じるのである。復活のキリストは、今生きて、信じる私たちに神の愛を現わし、永遠の命を与えるために働いておられる。

永遠の命とは、ただ時間的にいつまでも長く続く命という意味ではない。永遠者である神との交わりに生きる命である。信じる者は、神である主イエスとの交わりを持つのである。  私たちが確信していることは、今、私たちを捉えてくださっている神の御手が、死の彼方においても、私たちを捉えてくださるということである。終わりの日、主イエスが私たちを天国に迎えてくださる。私たちは主に結ばれて、主の恵みと力に支えられて、与えられた一日一日を、希望をもって精一杯生きるのである。信仰によって主と結ばれ、主に捉えられて生きる者にとっては、死はもはや人生を虚無にする忌まわしいものではない。;;”272″

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