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2009年4月1日

 本日の箇所にあるように、十字架の死は、目を背けたくなるようなむごたらしい、壮絶な死であった。なぜ、あの主イエスがこのような死を遂げなければならなかったのか?弟子たちは理解することができなかった。そして、絶望して散り散りに去っていった。しかし、弟子たちは復活のときに今一度集められた。彼らは復活の主イエスに出会い、十字架の意味を理解する契機を得た。

 主イエスの十字架と復活の出来事は、突発的に起こったのではない。神の救いの歴史の中で計画され、預言され、成就した出来事である。神の義は、律法と預言者に啓示され証しされてきた。その意味で、我々は今日、旧約聖書を学ぶ意味を持つ。イスラエルを通じてご自身を啓示された神の愛と義、律法にあらわされている神からの人間への要求〜要約すれば、「神を愛し、人を愛する」ということ〜を、我々は旧約聖書から知らされるのである。

 人間は、律法の要求することを完全に果たすことができない。このように律法によっては全く義とされない我々のために、主イエスは十字架で贖いの死を遂げてくださったのである。

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