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2009年3月29日「神の家族」

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(エフェソの信徒への手紙2章19〜21節)

 パウロは、もっとも低くなってくださった「イエス様の十字架」こそ、異なった立場の人が和解するカギであり、「教会の土台」であると語っています。ユダヤ人クリスチャンの立場も理解できるし、エフェソのクリスチャンの立場も理解できるので、それぞれに自分の当たり前よりも、私たちは「イエスさまの十字架」によって救われたという原点に目を向けるように強調しています。教会は様々な人が集められています。だからこそ、真の平和に向かって成長し続けていくための「土台」が必要です。立場の違いから、お互いの都合が悪くなるとすぐに相手との間に敵対の隔ての壁をつくってしまう私たちは、そのときにどこに目を向けてしまうのでしょうか。だから、そんなときこそ「イエスさまの十字架」に目を向けることが大事なのです。ただ、そんなときに「赦す」、「謝る」、「相手の立場になる」、「思いやる」ことは、とても難しいことです。誰も自分がみじめな思い、苦しい思いはしたくないのです。しかし、イエスさまは私たちのためにもっともみじめになってくださり、苦しみを負ってくださったのです。だから、私たちは「イエスさまの十字架」にいつも目を向ける必要があります。パウロもイエス様にふれて「わたしの名のために、どんなに苦しまなくてはならないかをわたしは彼に示そう」とミッションを与えられました。私たちも分かり合うために苦しみは付き物であることを覚えたいと思います。分かり合うことをやめない限り、必ずイエスさまは教会を組み合わされて成長させてくださるのです。;;”271″

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