「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。」(エゼキエル書37章5節)
エゼキエルは、南ユダ王国の最後期に生まれ、捕囚の地で預言者として立たされた人物である。第一回バビロン捕囚の時期、状況を軽く考え自ら悔い改めようとしない人々に向かい、エゼキエルは厳しく祖国の破滅を預言しなければならなかった。その後、その預言が成就した。都は敵の手に落ち、神殿は焼かれ、人々は帰るべき祖国と拠り所を失ったのである。生きる希望と気力を失った人々に、エゼキエルは神による救いと回復を成就した。
37章前半に語られる幻の光景は、大変印象的である。我々はここから「死者の復活、からだのよみがえり」という事柄を連想したくなる。しかし、ここでは別の事柄が示されている。「乾いた骨」は既に死んだ人々ではなく、絶望にうちひしがれ崩れ落ちて、「生ける屍」のようになったイスラエルの人々を指す。すべてを失い捕囚として異国の地に置き去りにされた人々は、「もはやこれまで」と思うほかなかった。しかし、神の目にはそうではない。神の霊が、生命の息が吹き込まれるとき、人は新たに生かされ、新たな人生の場面へと押し出される。そして彼らはまことの神が生きて支配しておられることを再び知るようになる。
そして彼らは「自分の足で立つように」させられる。神の生命の息を吹き込まれた者の歩みは、置かれた状況の中で神から目を背け、周囲に責任を転嫁する生き方から、神を信じ従い、置かれた状況の中で誠実の限りを尽くす生き方へと変えられる。
神のみが再び我々を生きるようにして下さる方である。干からびた骸骨で満ち満ちたこの世界を、新たに生きるようにされた大群衆の立ち上がる音で満たして下さる方である。;;”268″