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2008年12月7日「本国は天にあり」

 キリストの福音を信じた者たちは天に国籍を持つ者であることを、冒頭の言葉は喜ばしく語る。イエス・キリストも弟子たちに向かって、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10・20)と言った。

 「そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」(3・20b) 。イエス・キリストが救い主として、もう一度来られる。イエス・キリストの救いの御業は、十字架によってすでに成し遂げられ、終わった筈である。それなのに、そのイエス・キリストが再び天から救い主として来られるのは、どうしてか。「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです」(3・21)。キリストの十字架による罪の赦しは、復活において完成するのである。十字架において成し遂げてくださった救いを完成するために、イエス・キリストが再び来てくださるのである。

 天におられるキリストは、今、聖霊により、救いの働きを進められる。そして、時が来たならば、神の愛が支配する神の国を完成させる。人間の罪のために歪められた世界を終わらせ、全く新しい世界をもたらされる。そして、私たちを天の御国に迎えるために、再び来てくださる。私たちはそれを待ち望んでいる。

 天の御国がどのような世界であるか、私たちには示されていない(Ⅰヨハネ3・2参照)。天の御国は、この地上の延長ではない。「新しい天と新しい地」である。しかし、確かなことは、私たちに新しい体が与えられて、主との交わりと、主にある交わりがなされるところである。終わりの日に、神の国が完成する時、キリストは再び来られて、ご自分に所属する者たちのために、その卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるであろう。今は、私たちは鏡で見るようにおぼろに見ているが、その時には、「顔と顔とを合わせて」、主を仰ぎ見る。

 天の御国は、私たちが想像するところではなく、神の約束は必ず成就すると信じて待つところである。「神の国」の信仰は、神は「万物を支配下に置くことさえできる」(21節)神、無から有を創造した全能の神であると信じる信仰にかかっている。;;”272″

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