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2008年12月21日「待ち望みし方が」

 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち・・・(イザヤ書11章1節)

 この聖書箇所は、賛美歌の歌詞として我々の印象に深く刻まれている。では、その「エッサイの株」「根」とは何か。イスラエルは自分たちの王を求め、一本の木が伸び行くように、王家と共に歴史を重ねていった。しかし彼らはまことの神を信じ従うことをしなかった。神は100パーセント「愛」の神であると同時に、100パーセント「義」の神である。神に背く不義をそのままごまかしてはおかれなかった。不義の木はばっさりと切り倒されなければならなかった。そしてそこに残されたのが「切り株」である。

 神は驚くべき仕方で、救いの計画を継続された。かつてエッサイの子どもたちの中で人々の眼中になかったような少年ダビデが油注がれる者、「王」として選ばれた。そして再び、このエッサイの家系から、神は人間の歴史の中に新しい救いの希望を起こそうと計画された。

 死んだような切り株から新しい生命の芽が萌え出で、捨てられたような木の根から若枝が育つ。このように人間の目には思いがけない形、すなわち「神の子が人となる」という、もはや人間の小さな想像力や理性を圧倒的に打ち破る形で、イエス・キリストは我々の歴史の只中に来られた。

 その方は、不当に弱くされた者を助け出し、謙遜と従順を貫かれる。何より、その方はまことの神を知り、畏れ敬う方である。真実に神を信じ従い、神との交わりのうちに生きる方である。このような神と人間との正しい関係を完全な形で生きられたイエス・キリストが我々のところに来られたという、クリスマスの出来事の格別な重みを今一度受け取り、その喜びを告げ広めるために、それぞれの場へ出かけていきたい。;;”293″

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