西川口キリスト教会 斎藤信一郎
今月の主題…「神の臨在と祝福の中に生きる幸い」
◆詩編について・・・その2
今回の詩編は神賛美で、数多く登場するダビデ王の作とされているものです。1節で語られる「ギティト」という楽器は、81編と84編にも登場する楽器です。酒ぶねの形をした楽器で、酒ぶねを踏む時に収穫の喜びを盛りあげるために用いられていたという説があります。イスラエルで酒ぶねと言えばぶどう酒です。ぶどう酒と言えば、ある時は神の祝福を、ある時は罪の裁きの象徴として聖書で用いられて来ました。その楽器を用いることにしたダビデ。
もうひとつ興味深いのは、84編を含め、詩編全体で11編ある「コラの子の詩」です。元祖「コラ」は12族長の一人レビのひ孫にあたり、モーセに反逆して神に裁かれ、大地に呑み込まれて滅ぼされた人物です(民数記16章30-33)。その一族の子孫が、やがて歴代誌(6章1~23節の内、特に7節と22節)で神殿の詠唱者の任務に就き、礼拝奉仕に用いられることになるのです。そんな背景を持つからこそ、数多くいた詠唱者たちの中で、コラの子たちが繰り返し用いられたのかもしれません。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
満点の星空を静かに見つめながら、次第に思い煩いに満ちた現実から解放され、神の偉大さやご計画の確かさへと想いを向け、心の疲れを癒やされていくダビデ王を想像してみましょう。そのかけがえのないひとときが、やがてダビデにどのような気づきと希望を与えていくことになるのでしょうか。本文から読み解いていきましょう。
◆本文
8:1 【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
>>>過去に、部下の妻との不倫と彼女の妊娠を隠すために、部下を意図的に戦死させるという取り返しのつかない過ちを犯したダビデ王。生まれた子どもは幼くして亡くなります。そんなダビデ王がギティトを楽器に選んで神賛美をさせます。罪深い者に示される神の忍耐と愛を実感しながら礼拝を献げたダビデ王が想像できます。
8:2 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます8:3 幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。
>>>今回の舞台は夜空の星を眺めているダビデ王が、神賛美を献げる場面です。太古の昔から神が創造し、存在し続けている星々を眺めていると、人間の一生など一瞬にしか過ぎないと悟るダビデ。今や一国の王であるダビデも、神と天の万象の下では、乳飲み子に等しい無力で生まれたばかりの存在であることを自覚し、告白する詩となっています。自分がこれまで外敵と戦い勝利を収めてきたのも、神の力以外の何物でもないことを改めて悟るダビデでした。
8:4 あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。8:5 そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。
>>>かくもちっぽけに思える自分のような者も、神に覚えられている事実への畏敬の念が湧き上がって来ていることが伝わって来ます。
8:6 神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ8:7 御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。8:8 羊も牛も、野の獣も8:9 空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
>>>恐らく現実の生活の中では、時に途方もないほど神との距離を感じていたはずのダビデ。しかし、天の星空を眺めているうちに、「神に僅かに劣るものとして人を造り・・・」と語るほどに、神との距離が縮まっていることが表現されています。天の前ではちっぽけで、取るに足らない存在であるにも関わらず、神が自分に一国を支配する使命を与えられたことへの畏敬の言葉が続きます。全知全能の神の偉大さと自分への信任に想いを向けていくなかで、心の平安を取り戻していくダビデ。いつの間にか人しか目に入っていなかったダビデ。国民と外敵、いずれにしても人間の事柄に心を忙殺されていたダビデ。そんなダビデが天の星空を仰ぎ、神を想う中で次第に癒やされ、創世記第1章にも語られているように、神から託されていたのは、人間だけではなくすべての生き物を管理する責任であることに、改めて気づいていきます。人とはいかなる存在として神に創造されているのか、原点に立ち返らされたダビデが映し出されます。これらの気づきを詩と賛美にして礼拝せずにはおれなかったのでしょう。
8:10 主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう
>>>人生は神を求めて泣き叫ぶ産声の賛美と共に始まり、やがては天の御国における神賛美へと続く希望へとつながる。それを表現するかのように、最初と最後に同じ神賛美の歌詞でこの詩編を仕上げています。
◆話し合いのポイントについて
聖書教育誌は、普段、私たちが取り囲まれているあらゆる出来事の中で自分自身を見失ったり、自信を失くしてしまうことに言及しています。そういう時に励ましと慰めや戒めになる聖書箇所として、今回の詩編を取り上げています。一度、現実から目をそらして天の星空を見上げ、神の壮大で驚くべき創造の御業に目を向けさせる詩編8編の内容に着目する時、大事な「気づき」が与えられます。自分はなんとちっぽけで不完全な存在なのかということ。それにもかかわらず、遥か昔から存在し続ける大宇宙を創造された神が「瞬間的にしか存在しえない私」、「欠けがあり、不完全な私」にさえ目を止めて下さっているという気づきです。これをベースに「話し合いのポイント」、少年少女科の「活動」や「コラム」が展開します。私たちが一度目をそらすべき現実とは何か。そして、目を向けなおすべき事柄について考えさせられます。