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主日礼拝宣教要旨

2018年10月7日(日) 礼拝宣教要旨「聖なる抵抗」マタイによる福音書21章12-17節

西川口キリスト教会 朴 思郁 協力牧師

『「わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。」ところが、あなたたちはそれを強
盗の巣にしている。』マタイによる福音書21章13節

 イエスの「神殿騒動」は、四つの福音書ともに記しているほど、重要な出来事でした。聖書は、イエスが過越の祭りにエルサレム神殿の境内に入り、「異邦人の庭」で商売人や買い物をしていた人たちを追い出して、さらに両替人のテーブルを倒したり、鳩を売っている人の椅子を蹴っ飛ばしたりしたといいます。私たちの思っているイエスのイメージと比べて、信じられないほどのイエスの姿です。なぜ、イエスは、乱暴とも思えるほどの行動を取られていたのでしょうか。
 イエスは、憤りを示された理由について、旧約聖書(イザヤ56:7)を引用して「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」と言われました。その言葉から商売や両替そのものは悪いことではないが、商売/両替人たちが各地から集まって来た人たちから、不正にだまし取っていたということが伺えます。つまりイエスは、神殿巡礼者たちのために設けられていた制度に潜んでいる権力や金権などによる不正に対して違和感を覚えられ、それに真っ向から抵抗されたのです。神の名を掲げながら、既得権層の貪欲によって本来の姿を失っている現実に対して果敢に立ち向かわれたのです。現実的に、イエスは神殿管理者など、宗教権力者たちに比べると、「田舎出身のラビの一人」という、マイノリティーの一人に過ぎない存在だったのかもしれませんが、神に信頼して、勇気を持って果敢に「聖なる抵抗」を実践されたのです。
 私たちのバプテストは「プロテスタントの中のプロテスタント」と言えると思います。「プロテストをする者」、つまり「抗議を申し立てる者」として、16世紀のプロテスタントはカトリック教会が抱えていた問題性に抗議を申し立てました。そして17世紀のイギリス国教会に対して異議を唱えたのが、他ならぬバプテストだったのです。常に自分自身に対して、共同体に対して、社会と世界に対して、聖書の精神に照らし合わせながら見つめ直していく「聖なる抵抗」を実践していくこと、それこそがご自分の身をもって、十字
架の死に至るまで、「聖なる抵抗」を成し遂げられたイエスの姿に倣っていくことであると思います。

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