イザヤ書40章1~11節「一緒に帰ろう」
総合テーマ 神のみ言葉の確かさと力
・今月のみことばの学びの視点…その1 私たちが目指すことができる神の国の素晴らしさ
・今月のみことばの学びの視点…その2 神が導いておられる礼拝とは
◆黙想のポイント
1. イザヤがどれほど興奮し、確信しながら主が語るように告げられる御言葉を伝えようとしているのかを黙想しましょう。
◆聖書箇所…
【新共同訳】
40:1 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。
40:2 エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。
40:3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
40:4 谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
40:5 主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
40:6 呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。
40:7 草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。
40:8 草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
40:9 高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神
40:10 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。
40:11 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書は大きく分けると39章までの前半部分と40章からの後半部分に分かれます。39章までは神に背き、罪を犯しながらも神に持ち運ばれるイスラエルへの裁きが語られ、40章からはそのイスラエルに真の救いがもたらされていくことが語られています。興味深いのはこれが今日私たちが手にする旧新約聖書の内容とよく似ている点です。旧約聖書は人類の神への背きの歴史であり、新約聖書は神に背く人類に対する救いの希望が語られています。そしてイザヤ書は前半が39章、後半が27章あり、全部で66章からなっていますが、これは旧約聖書39巻と新約聖書27巻、合わせて66巻からなっているのと一致するのです。さらには後半部分の最初の40章の3節「主のために、荒れ野に道を備え」の箇所は新約聖書最初の書であるマタイ福音書の3章3節で引用されていることも偶然の一致以上のものを感じさせます。またイザヤ書の最後の章である66章の22節には新しい天と新しい地のことが語られていますが、これは黙示録の最後の21~22章で語れる新しい天と地の描写とも一致するのです。まさに神の霊観を力強く与えられて預言を続けたイザヤならではの預言の書だと思わされます。
このようにイザヤ書を概観する時、今回取り上げるイザヤ書40章1~11節はまさに新約聖書の福音書の部分に該当するものであり、9節に登場する言葉「良き知らせ」つまり福音そのものが語られている箇所だと言えるでしょうか。そのようにして今回の箇所を味わって行くとイザヤのトキメキと興奮がより伝わってくるのではないでしょうか。これまでは裁きと悔い改めを促す預言中心であったのが、神の救いに関する預言にようやく転換したからです。どんなにこの神の預言の御言葉を待ち望んでいたことでしょうか。1節で「慰めよ」という言葉が2度も用いられています。この言葉をかみしめながら語るイザヤが目に浮かびます。そして2節にはイスラエルの罪が償われ(キリストによって罪が償われ)ることが語られます。3~5節では「主の口がこう宣言される」と力強くイザヤは語りながら、主へと通じる道を隔てていた険しい山道や渓谷で表現されるあらゆる障害物が取り除かれ、主の栄光が届くようになることが語られています。そして6~8節では「主の風」によって神の言葉が真価を発揮するようになることが語られます。10節などは「見よ」、「見よ」、「見よ」との言葉が三回も続きます。あたかもイザヤの目の前で起きているかのように錯覚させられた神の預言の御言葉の確かさを実感させられる言葉ではないでしょうか。主なるキリストが羊飼いのようにして羊の家族(子も親も)を導く姿がイザヤに示されたのです。
これらの預言でイザヤ自身がどれほど慰められていることでしょうか。この預言の言葉を主イエス・キリストによって成就した後の時代に生きる私たちにとっても大きな慰めになる箇所です。イザヤ書が語る前半の悔い改めと後半の福音の布告は、バプテスマのヨハネとイエス・キリストが共に語った新約聖書の一大メッセージ「悔い改めて、天の御国の福音を信ぜよ」と一緒です。そしてこのメッセージは今は私たちに託されている神の御言葉です。私たちもイザヤのように神の御言葉を語ることができるでしょうか。