ヨハネによる福音書11:55-12:11
「さて、ユダヤ人の過越祭が近づいた」(55節)。「過越祭」とはユダヤ人の三大祭の中で最も大切な祝祭である。宰相ヨセフの時代にエジプトに移り住むようになったイスラエル人はその後、数を増した。ヨセフのことなど知らない世代のエジプトのパロたちはそれを脅威に感じ、イスラエル人たちを奴隷扱いするようになった。そのような厳しい状況の中でモーセが立てられ、イスラエル人たちはエジプトを脱出することができた。「過越祭」はそのことを記念するものである。後の世のユダヤ人たちにとってもそれは自分たちのルーツを確認する大切なものであり、どのような時にも「過越祭」を祝い続けた。
「ヨハネによる福音書」において「過越祭」は3回巡ってくる。主イエスの公生涯が3年ほどであると考えられる根拠である。「多くの人が身を清めるために、過越祭の前に地方からエルサレムへ上った」(55節)。神殿の境内に上るためには「身を清める」ための様々な条件をクリアしなければならなかった。そのため、人々は祭よりも前に旅立たなければならなかったのである。
前回既に学んだように、主イエスを捕えて亡き者にすることが既にユダヤの指導者たちによって決定されていた。そのため主イエスは一時、エルサレムを離れ身を隠された。そこで人々は「どう思うか。あの人はこの祭りには来ないのだろうか」(56節)と噂し合ったのである。
主イエスの「十字架の時」は着実に近づいていた。そして「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた」(1節)。「過越祭」はユダヤの暦ではニサンの月(3月頃)の14日である。主イエスの十字架はその後の金曜日の出来事であり、その「六日前」は安息日(金曜の日没~土曜の日没)であった。その日、主イエスが来られたということで「イエスのために夕食が用意され、マルタは給仕をしていた」(2節)。これは安息日である土曜の日没後の夕食である。「そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた」(1節)。この食事会はどこで催されたのかということについては諸説が存在する。「マルタとマリア、ラザロの家」であるという理解もあるが、多くの注解者はマタイやマルコの並行記事を根拠に「重い皮膚病の人シモンの家」(マタイ26:6、マルコ14:3)であると解釈している。また、ヨハネの記事においてもわざわざ食卓に「ラザロがいた」と記していることからも、ここが本人の家ではないことが想像される。それぞれの福音書には記者の信仰の立場や記された背景の多様性がある。いずれにせよ、「ヨハネによる福音書」を読む時には、ヨハネが語るところを読んでいけば良いと思う。
皆が食卓に着いた時、「マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった」(3節)。この「ナルドの香油」はインドの高山で採集される植物から抽出される貴重なものである(1リトラ=326g)。マタイとマルコの並行記事においてはこの香油は主イエスの「頭」に注がれたが、ヨハネの伝えるところでは「足」に注がれている。当時は低い食卓に足を投げ出し、横になって食事をする習慣であったので、「足」に香油を注ぐことは不自然ではない。また、当時のユダヤの習慣では大事な客には香油を頭から注いだり足に塗ってもてなしたようである。しかし、マリアはここで「自分の髪でその足をぬぐった」。当時、女性が人前で髪の毛をほどき、人の足もとを拭うという行為はある意味異常であり、常識を超えたものであった。
それを見て「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか』」(5節)。ユダの目にもマリアの行いは常識を超えた無駄な行為だったのである。マリアは主イエスへの感謝と愛の信仰、主イエスを大切に思う信仰に動かされてこのように行った。この時は更に、愛するラザロを生き返らせ悲嘆に暮れていた自分たちに示してくださった主イエスの愛の奇跡への感謝という思いがあったことであろう。またこの時だけではなく、マリアは主イエスの言葉により生かされ慰められて生きてきた(cf., ルカ10:38-)。そのような愛と感謝が、マリアに慣習を超えた行動を取らせたのである。
この香油を売れば「三百デナリオン」になったという。1デナリオンは当時の一日の日当にあたる金額であることから、いずれにせよかなりの金額であると思われる。ここでヨハネのユダに対する視線は厳しい。マタイやマルコは「ユダ」と名指しすることはしていない。ヨハネはユダが金銭に貪欲であったために主イエスを裏切ったのではないかという解釈を示している。これも一つの捉え方である。いずれにせよ、ユダは主イエスに対して「こうあってほしい」という期待を抱いていた。しかし主イエスに失望させられた時、「裏切られた」と感じたユダは主イエスを裏切ったのである。
しかし主イエスはマリアの行為を感謝と愛の信仰からきたものであることをご存じであった。さらにマリアの行為をご自身の「葬りの日のため」(7節)、すなわち眼前に迫るご自身の十字架における死の準備のための行為としてお受けになったのである。当時のユダヤでは死人が出ると遺体に香油を塗り、布で巻いて墓に納めた。主イエスの足に香油を塗るという行為はその先取りであると主イエスは示された。主イエスの十字架の死が迫っていることをマリアは知る由もない。しかし、主イエスはマリアの行為を、人々の救いとなる十字架を証しする出来事として受けられた。我々が神を崇め礼拝を献げることや献金を献げること、これらのことは他の人たちからすれば「なんと馬鹿らしい、無駄なことか」と見えるかもしれない。しかし、主イエスはそれを喜んで受けてくださり、ご自身の救いをあらわすこととして用いてくださるのである。
ところで、ここで言われている「なぜ・・・貧しい人々に施さなかったのか」(5節)という問いは正論である。主イエスご自身も貧しい人々への施しを大切にされた(cf., マタイ19:21)。初代教会においても貧しい人々に対する配慮は受け継がれていた(cf., 使徒6:1)。社会福祉の行き届かない時代にそれらの働きは大切だったことであろう。教会がどのようにこの働きに携わっていくかということは、それぞれの教会の状況や置かれた地域の事情によるため、画一的に考えることはできない。このことを考える際、我々は主イエスに従う信仰から、実際に何をすべきか考える。教会がしなければ他の誰もしないのは、主イエスを証しすることである。そのことを大事にしながら、何をするにしても主イエスに従い、主イエスを証ししながら我々は歩んでいく。