マルコによる福音書15:33-41
主イエスは十字架上で大声で叫ばれ、死んでいかれた。「昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた」(33節)という情景の描写は、アモス書における「終わりの日」の描写と合致する(アモス8:9)。この場面の実際の情景というよりも、マルコがこの十字架の場面を「この世の審判の時」「終末的な事柄」と理解し、そのことを訴えようとしている記述である。
そして主イエスは大声で「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(34節)と叫ばれた。同じ場面の主イエスの言葉をマタイは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と記している(マタイ27:46)。マルコの記した「エロイ、エロイ」および共通する「レマ、サバクタニ」は当時のユダヤ人が話していたアラム語であるが、マタイの記した「エリ、エリ」はヘブライ語である。当時、ヘブライ語は日常で用いられていなかったが、礼拝の際にはヘブライ語が用いられていたという。それを聞いた人々が「そら、エリヤを呼んでいる」(35節)と誤解したところからも、主イエスはマタイが記したように冒頭の「わが神、わが神」の部分を「エリ、エリ」とヘブライ語で叫ばれた可能性が高い。
当時のユダヤには、「苦しむ義人にはエリヤが天から助けに来る」という民間信仰があった。この場には当然、死刑囚が息絶えるまで見張りをするという職務を遂行するためにローマの兵士たちも居合わせたが、その他にも多くのユダヤ人の見物人が居合わせたため、このような発言がなされたのである。「エリヤの到来」という不思議な出来事を目撃するためには、主イエスを簡単に絶命させるわけにはいかない。そのため「ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、『待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう』と言いながら、イエスに飲ませようとした」(36節)のである。「酸いぶどう酒」とは下級階級の人々の飲み物であり、死に際の末期を長引かせるための気付け薬としてここで用いられようとしていた。ここは詩編69:22と関連しており、史実であるかは確認できないものの、明らかにヨハネは自身の福音書においてこの場面を詩編69:22の成就として理解している(ヨハネ19:28-30)。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」、すなわち「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉は詩編22編の冒頭の引用である。遠藤周作は『イエスの生涯』(1973年)の中でこの主イエスの叫びを単なる苦しみの絶叫ではなく「神賛美である」と解釈した。なぜなら詩編22編は勝利を与えたもう神に対する感謝と賛美で締めくくられているからである。主イエスは詩編22編をもって神を賛美しようとしながらも、途中で息絶えられ、神賛美に到ることができなかったのではないかという解釈である。しかし今日多くの聖書学者はこの言葉を「やはり絶叫である」と理解する。この十字架の「死」は「神の裁き」であり、ここにおいて主イエスは神から見捨てられた。その中で主イエスは人間の罪の身代わりとしての裁きを受けられ、真に絶叫された。真に神と共にある者だけが、最後にこのように叫ぶことができたのである。
ついに主イエスは「大声を出して息を引き取られた」(37節)。すると「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(38節)。恐らく処刑場であるゴルゴタの丘からエルサレム神殿の奥にある至聖所の垂れ幕が裂けたとしても、それは見えない距離であったはずである。そのため、この表現は象徴的な意味を持つものとしてここに記されている。当時の礼拝の習慣においては年に一度、大祭司が至聖所に入り贖いの儀式をなし、罪の赦しを求めていた。しかしそれは不完全なものであった。今や主イエスの十字架による完全な贖いにより、神と人との間に新たにして完全な関係が成立した(cf., ヘブライ9章、エフェソ2:14-18)。今や特定の場所や時期に縛られることなく、いつでもどこでもまことの礼拝をもって神に出会うことができるようになった(cf., ヨハネ4:20-26)。その出来事をこの「神殿の垂れ幕が裂ける」という描写が表現しているのである。
その様子をそばで見ていた百人隊長は「本当に、この人は神の子だった」(39節)と言った。マルコは自身の福音書を「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)という言葉で書き始めた。弱く、「神の子」などと見えないような者が、逆説的に「神の子」なのである。主イエスが「復活」したので「神の子」となったのではない。主イエスの生きざま、そしてこの十字架の死、それが主イエスの「神の子」であることを示している。苦しみの中で絶叫して死んでいったこの主イエスこそ、神の子である。マルコは敢えて異邦人であるこの百人隊長の口を通して「本当に、この人は神の子だった」という信仰告白の言葉を語らせている。そしてここから「主イエスこそ神の子」ということが歴史の中で受け入れられ、やがて全世界に宣べ伝えられるところとなっていく。まさに神の霊感によって書かれた箇所であることを感じないわけにはいかない。
主イエスの死に立ち会ったのは「イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた」(41節)女性たちであった。そして復活の出来事を証言したのも女性たちであった。当時、裁判において女性の証言は認められておらず、取り上げられることはなかった。しかし、主イエスの復活の出来事は、この世の権力者たちの証言ではなく、証人にもなれないような者たちの証言によって今日まで語り伝えられた。このこともまた、神の計画のもとになされたことである。