マルコによる福音書14:53-65
当時のユダヤはローマの支配下にあった。ローマはユダヤに軍隊を送り、その地方の治安を守っていた。またローマは一定の方針に従って属州を統治させるため、各地に総督を派遣していた(当時のユダヤ総督はポンティオ・ピラト)。本日の箇所の舞台になっている「最高法院」とは、ユダヤのいわゆる「70人議会(サンヘドリン)」のことである。ユダヤの宗教的な事柄およびそれに基づく人々の生活を指導し律していくのが彼らの役目であった。聖書の中ではその構成員として「祭司長、長老、律法学者」(53節)が挙げられており、その召集者は「大祭司」(54節)であった。
ユダヤの宗教指導者たちは弟子の一人ユダを買収し、主イエスを捕縛するための手引きをさせ、ついにその企みを成功させ、主イエスを大祭司カイアファ(マタイ26:3)のところに引き立てていく運びとなった。そして「大祭司の屋敷の中庭」(54節)で尋問が始まった。当時、最高法院の議会が夜中に召集されることは禁じられていたため、そこには議員たちが「全員」(55節)集まっていたものの、恐らく形式上は、正式な議会は夜が明けてからの開催ということになっていたのであろう。この場面は、大祭司による事前の尋問であると推測することができる。ヨハネによると、その前に主イエスはカイアファの舅である「アンナス」のところに連行されている(ヨハネ18:12-13)。いずれにせよ、ユダヤの宗教指導者たちは夜中に主イエスを捕縛し、時を移さず尋問を始めたことが分かる。それほど、彼らは主イエスに対する強い危機感を持っていた。
大祭司カイアファが行った尋問は、翌日すぐにローマ総督ピラトに主イエスの死刑宣告を求めるための準備をするものであった。ユダヤの宗教指導者たちは主イエスをすぐにでも亡き者にしたいと願ったが、ユダヤの最高法院は「死刑」を執行する権限を有していなかった。聖書の中では「石打ちの刑」(使徒7:54-60など)が見られるが、これは正式な手続きや裁判を経た処刑ではなく、暴徒によるリンチと言える類のものである。ただ、それはユダヤ人にとって「モーセの律法に従って」という意識の中で行われるものであった。
そのような手段があるにもかかわらず、彼らは主イエスに対しては法的な手続きを踏もうとした。正式にローマ総督に訴えて死刑が執行されるような段取りになるよう、準備を重ねた。大祭司の尋問は「主イエスに罪の事実があるのかどうか」ということを議論するようなものではなく、「何が何でも主イエスを死刑にする」という目的を前提としたものであった。しかし法的な手続きを踏むからには、そこには犯罪の証拠が必要になってくる。そのため「多くの者がイエスに不利な偽証をした」(56節)。ユダヤの律法では少なくとも二人以上の証言が一致しなければならなかったが(申命記19:15)、この場面では訴え出る者たちの「証言は食い違っていた」(56節)ため、なかなか決定的な罪の証拠を提示することができなかった。
何故、主イエスはここまで「殺さなければならない」と憎まれたのであろうか。我々は既にエルサレム入城後の主イエスの言動について聖書から学んできた。エルサレム神殿の現状を批判する主イエスの言動に対し、ユダヤの宗教指導者たちは「何の権威で、このようなことをしているのか」(マルコ11:28)と怒り心頭であった。「神殿」というものは神聖にして侵すことのできない、ユダヤの宗教社会を統制し支配する大切な場所であった。また人々にとっても、皆で動物の犠牲を捧げる礼拝を行うことによって「自分たちが神の民である」ということを互いに確認することのできる大切な場所であった。それに対して主イエスは批判的に行動し、批判的に語られた。ユダヤの最高法院としては主イエスを死刑に定める権限を持たないものの、やはりユダヤの民衆も納得する形で死刑にまで持ち込まなければならないため、こうした尋問は続いていく。
そこで「数人の者が立ち上がって」(57節)共に偽証をし始めた。「この男が、『わたしは人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、わたしたちは聞きました」(58節)。ヨハネによれば、主イエスは「神殿」を「ご自身の体」として捉え、「復活」を語っておられるのである(ヨハネ2:13-22)。それはまさに当時のイスラエル神殿を中心とした宗教体制の否定でもあった。主イエスはご自身の復活によって「新しいイスラエル」、罪赦され一人一人が心から神に従い、自発的に祈り、神の御心に喜んで従う者たちの新しい群れを創造される。弟子たちは主イエスの十字架と復活の後、その事に気付いたのである。
しかし「この場合も彼らの証言は食い違った」(59節)。大祭司カイアファは苛立ち、直接主イエスの口から訴えるための言質を取ろうとし、「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」(60節)と語りかけた。しかし、主イエスは人々の悪意の前に「黙り続け何もお答えにならなかった」(61節)。主イエスがどのような方であるのかを知るための裁判ではなく、主イエスを何とかして殺そうという殺意のみなぎった裁判の席で、主イエスはもはや自己弁護されなかった。神の御旨に従うため、悪意に対して反論されなかったのである。
たまらず大祭司は重ねて問いただした。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」(61節)。「ほむべき方」とはユダヤ的な表現で「神」を指す。「メシア」については当時様々な考え方があり、反ローマ闘争の文脈の中で「メシア」を自称する者たちも登場した。ユダヤの最高法院としては、主イエスを死刑に持ち込むために、「反ローマ」「クーデター首謀者」の「メシア」として主イエスを告発しようとした。そのため、「お前はメシアなのか」と尋ねたのである。
その問いに対し、マルコの語る主イエスは「そうです」(62節)と簡潔に答えられている。これまで主イエスが教え、行ってきたことはすべて「自分が神から遣わされた者である」ということを示すものであり、主イエスは「メシア」としての生涯を生き抜いてこられた。それゆえにここで明確に答えておられるのである。「全能の神の右に座る」(62節)とは、「神の主権を持つ」「神的な存在」であるということを示し、「雲」(62節)は「神の臨在と栄光」を表わす表現であり、ここで主イエスは「自分は神の栄光のうちに再び来る者である」と「復活」をこのような表現で語っておられる。
これを聞いて大祭司は「衣を引き裂」いた(63節)。「自分を神と等しい者にする」かのようなこの主イエスの発言は、神への冒涜であり、死に値するものであった。そのような反応があるのも納得できる。現在であれば、「自分は神の子」と自称する者がいたならば「神への冒涜」と思うよりも「あの人は気が変になった」という反応が大きいかもしれない。いずれにせよ信じない者にとって「自分は神の子である」という発言は狂気じみたものであり、初期のキリスト者たちが「神の子キリスト」と告白した時にユダヤ社会の中でどれほど大きな迫害や脅迫に遭ったかはよく分かる。しかし主イエスをキリストと信じるようになった者たちは「復活」によって主イエスがどのような方であるのかを知った(cf.,ローマ1:2-4)。主イエスの言葉は復活の光に照らされて初めて理解されるのである。
ローマ帝国が最も恐れたのは「反乱」であり、そのような動きは厳しく取り締まり、首謀者たちは見せしめのために十字架刑に処した。主イエスの罪状書きにある「ユダヤ人の王」(15:26)とは、「ローマに逆らいユダヤ属州を独立させ自ら統治しようとしている者」という意味である。死刑の執行権は総督にあったため、当時の総督は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け・・・」(「使徒信条」)とその名を残すことになった。主イエスの死刑はユダヤ当局とローマの総督の共謀の中で行われた。「ユダヤ人だけが」「異邦人だけが」ということではなく、全ての者が主イエスの殺害に関与している。そこに人間の罪があらわにされている。そしてそのような人間の罪を贖うために神は御子を遣わされ、預言者たちを通して語られたその計画を成就された。これが聖書全体を貫くメッセージである。御子の死をもってしか贖われない人間の罪とは何か。人間はまことの神を神とせず、自分を守ろうとした。自分を壊し自由にする者としてのまことの神を崇めず、人間を神としていった。その中でまことの神を否定し殺害していった。それが人間の罪である。「創世記」におけるエデンの園での出来事から既にそうであったように、人間は「神のようになりたい」と願い、神から逃走し、自分の城を崩そうとする者はたとえ神であろうと徹底して排除する。十字架を前にしたこの場面においても、そのような人間の罪が語られている。