マルコによる福音書14:10-21
主イエスは弟子たちと共に、最後の食卓の席に着かれた。「除酵祭」(12節)とは、「過越の食事」で用いる「種入れぬパン(イースト菌を除いたもの)」に由来する名称であり、「過越祭」の準備の内の一日である。その日の午後にはエルサレム神殿において一歳未満の傷のない小羊が屠られ、人々はその肉を用いて各自の家庭で「過越の食事」を行う。当時のユダヤにおいては「日没から一日が始まる」という数え方をする。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)の記述によれば、この「除酵祭」が終わり、その夕方(日付けが変わる)から「過越の食事」の場面が始まっている。そしてヨハネは自身の福音書において「十字架」をこの「除酵祭」、すなわち「小羊が屠られる日」の出来事として描きだした。
「過越祭」は「出エジプト」の出来事に由来するものである。かつてイスラエルの民がエジプトで奴隷のような状況に立たされ、苦しんだ時、その呻きを聞いた神がモーセを立て、彼らを奴隷の地であるエジプトから導き出した。その際、最後に神はエジプトに災いを下した。それに先立ち、イスラエルの家には「小羊を屠り、家の鴨居にその血を塗るように」との命令があった。するとそのようにした家は災いが通り過ぎたのである(出エジプト12:1-28)。現在もユダヤ教ではこの「過越祭」を毎年大切に守っている。そこでは祖先であるイスラエルの民が救いだされるために大きな犠牲が払われたこと、祖先たちの大きな苦しみがあったことが想起される。午後に小羊が屠られ、各家庭での「過越の食事」は日没以降始まる。それは単なる食事の場ではなく、家長が司式を務める家族の「礼拝」の場である。家長は「過越」の意味を家族に語り(出エジプト12:26)、賛美と祈りをささげる。焼いた小羊の肉には「種入れぬパン」と苦い青菜が添えられる(出エジプト12:8)。この「種入れぬパン」は祖先の苦しみを想起させる「惨めなパン」なのである(申命記16:3)。家長はパンを裂き、感謝の祈りをもって家族に分ける。杯も祈り祝福して何度も回す。
我々にとっては主イエスがまさにこの「過越の屠られた小羊」、すなわち「我々が解放されるための犠牲」であり、真の解放のわざを成就された方である。そのような意味で、ヨハネは自身の福音書の冒頭において洗礼者ヨハネの口から「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と語らせ、十字架の場面を「小羊が屠られる日」に重ね合わせたのである。主イエスの十字架にかかわる出来事のあった時を正確に確定することは難しいが、いずれにせよこの「過越祭」に関わっているということは変わりない。
主イエスは弟子たちに「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」とお話しになった(ルカ22:15)。主イエスがご自分の苦しみと「過越の食事」を結びつけておられることがよく分かる。「苦しみを受ける」「過越」という語は同一の語源に由来する。この食事の席を準備させるため、主イエスは弟子たちを「都」(13節)、すなわちエルサレムに向かわせた。当時の食事は敷き物の上に寝そべってするものであったから、主イエスの一行を受け入れるほど大きな「二階の広間」(15節)を提供できるほどの家は裕福だったことであろう。「マルコと呼ばれていたヨハネ」(使徒12:12)の家ではないかという説もある。
そしてこの日の夜、主イエスは逮捕され、翌早朝に裁判にかけられ、午前9時(マルコ15:25)に十字架に架けられた。この「過越の食事」の場面は一連の受難が始まるところである。ここで主イエスの言われた「はっきりいっておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」(18節)という言葉を聞き、弟子たちは「心を痛め」た(19節)。我々も聖書を読みながらそこで語られていることが分からずに躓くことがあるが、弟子たちもここで主イエスの言葉を理解することができなかった。「まさかわたしのことでは」(19節)と言いつつ、弟子たちの中に「絶対に裏切らない」という確信はなかったのかも知れない。そのため、弟子たちはこのようなことを言われて「心を痛め」たのであろう。
続けて主イエスは「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ」(20節)と言われた。「鉢」にはソースのようなものが入っていて、食卓を共にする者たちは同じ鉢にパンなどを浸して食べる。そのような親しい関係にある者が主イエスを裏切ろうとしているのである。弟子たちと同じように我々もまた、主イエスに従い切れずに裏切り、主イエスに対して罪を犯す。そうした我々の罪深さがあればこそ、主イエスは我々のために十字架に架かられ、赦しの恵みを絶えず思い起こさせるために我々を「主の晩餐」に招かれるのである。
「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く」(21節)とあるが、これは「神が預言者を通して語っているように」という意味である。「屠り場に引かれる小羊のように」(イザヤ53:7)という預言の言葉にご自分の死を重ね合わせつつ、主イエスは最後の晩餐を弟子たちと共にしているのである。しかしその中の一人がご自分を裏切ろうとしている。「人の子を裏切るその者」(21節)の「裏切る」は、「引き渡す」(10節)と同じ語である。マルコは自身の福音書において「受難の予告」を語る際にこの「引き渡す」という言葉を繰り返し用いた(ex. マルコ14:41)。主イエスの受難は神のご計画の中にある。しかし、主イエスを「引き渡す」者の罪は決して免責されない。神は裏切る者をもご自身のご計画のために用いられるが、同時に「裏切る」という人間の行為の責任は免れ得るものではない。しかし主イエスはそのような人間の罪を明らかにしながら、ご自身の十字架の死を「多くの人のため」(マルコ14:24)のものと捉えられた。「多くの」とはセム語で「すべての人」を意味する。「裏切る者」をも含めた「すべての人」である。
ユダもまた、主イエスにとっては赦されるべき者であった。しかしユダは最終的に自分自身に絶望して自殺してしまったのである。主イエスの赦しを受け入れることができないと、人は自分自身に絶望してしまう。ユダは何故、主イエスを裏切ったのであろうか。様々な推察がなされてきた。例えば太宰治の短編小説『駆け込み訴え』は、ユダに主イエスへの複雑な思いを吐露させる形で構成されている(初出:『中央公論』1940年2月号、「青空文庫」HPから読むことができます…http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card277.html)。
ユダだけではなく弟子たちには、「ユダヤ社会を解放する王」としての主イエスに対する大きな期待があった。それが熱狂的であればあるほど、主イエスがそのような存在ではないと分かった時の失望は大きかった。むしろこのまま主イエスに随行すれば自分自身の身も危ないという状況を察知したユダは、主イエスに早々に見切りをつけたのである。弟子たちは皆、主イエスに従いながらも「自己実現」を目ざしていた。主イエスについていくことで自分自身の「得」になるものを得たいと願い、その願いを主イエスに押し付け、それが実現しない中で主イエスがどのような方だか分からなくなり、勝手に失望する。この弟子たちの姿は、我々の姿でもある。しかし、そのような我々をもいつも招き、赦してくださる主イエスを、今日も我々は聖書から示されている。こちらからどこかで見切りをつけてしまえば、我々は主イエスを見失ってしまうのである(cf., 内藤淳一郎『一日の発見-365日の黙想』、キリスト新聞社、2007年、164頁)。