テモテへの手紙Ⅰ 4:6-10
「テモテへの手紙」は、パウロがテモテに書き送ったという体裁で記された「牧会書簡」の一つである。「牧会とは何か」という問いに対し、金子敬先生は次のように書いている。「『牧会とは?』と聞かれれば、トゥルナイゼンやボンヘッファーが言うように『御言葉を届ける働き』と答えています。ですから、基本的には礼拝説教が牧会です。そして、様々な相談ごとに応じる場合でも、基本は御言葉を届けることです。人々は、牧師に対して、いわゆる、信仰を前提としない一般的なカウンセラーの言葉を期待しません。即ち、私たちは相談者に対して、御言葉を用いて、その人の立つべき軸足を主告白、すなわちキリスト信仰へと導くことが求められています」(金子敬『バプテスト教会における牧師の働き-一牧師の現場から』(宣研ブックレット5)、日本バプテスト連盟宣教研究所、2009年、48頁)。「御言葉をもってその信仰を建て上げる」という務めは、「礼拝」においては全体に対してなされ、「牧会」の場面においては具体的に個々に対してなされる。そこではその人の状況に適う御言葉が語られ、その人の話に耳が傾けられる。そして、最後には共に祈る。そこが一般的なカウンセリングとの違いであると言えよう。
パウロはこの手紙をもって、テモテに対して個人的に御言葉によって励ましを与えている。テモテとはどのような人物であろうか。パウロはアジア州リストラで伝道していた時にテモテに出会った。テモテの父はギリシア人であり、テモテは割礼を受けていなかった。しかしパウロは「このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた」。この「割礼」はパウロにとっては「救いの必須要件」ではなかった。しかし、「ユダヤ人にはユダヤ人のように」という自由さの中で、パウロはそのように判断したのであった(cf. 使徒16:1-5)。当時、テモテは20代の青年だったと思われる。テモテの祖母ロイスと母エウニケは神を信じる信仰を持っており、その信仰はテモテにも宿っていた(Ⅱテモテ1:5)。それまでのユダヤの伝統の中にある「見えざる唯一の神への信仰」が、イエスをキリストと信じる信仰のために良い備えになっているとパウロは考えた。それゆえにパウロはある町に入ったら、最初にユダヤ人の会堂で伝道したのであろう。
テモテはパウロの伝道の同労者として忠実に働いた。パウロは「テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです」(フィリピ2:20)と書いている。パウロ自身、キリスト者たちがその迫害の時代の中で信仰にしっかり立ってほしいと、一人一人を心にかけていたが、それはテモテも同じであった。パウロはテモテを信頼し、諸教会に自ら赴くことのできない時には代わりにテモテを派遣している(Ⅰテサ3:1、Ⅰコリ4:17、使徒19:22、フィリピ2:19など)。また、テモテはパウロが書いた手紙のいくつかに「共同差出人」として名を連ねている。そもそもパウロはあのような長い手紙を一人で書いたのであろうか。パウロが書き、また語った事柄を同労者たちが文章にした部分もあるのではなかろうか。実際、パウロの死後もパウロ名義で書かれた手紙が出されている。例えば「エフェソの信徒への手紙」「ヘブライ人への手紙」などはパウロに信仰の薫陶を受けた人物が書いたのではないかと推測されている。
パウロはテモテと協力して伝道と教会形成の働きに仕えた。最後の最後までパウロに付き従っていったテモテは、いわゆる「第三伝道旅行」にも同行している(使徒20:4)。そしてパウロが獄中で書いたとされる手紙のひとつ「フィリピの信徒への手紙」の冒頭に「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから・・・」(フィリピ1:1)とあることから、パウロがローマに護送され幽閉される時にもテモテは共におり、パウロの死刑直前まで一緒にいたのではないかと考えられている。このようにテモテはパウロの思いを思いとして神に仕えた。そしてテモテはエフェソの最初の司教とされたと言われている。
前述の通り、テモテはパウロと出会った当時20代の若者であったが、「テモテへの手紙」が書き送られた時点では30代の若さで既に「パウロの代理者」という責任ある指導的地位にあった。そのため、「あなたは、年が若いということで、誰からも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範になりなさい」(Ⅰテモ4:11)との助言が若いテモテに向けられている。いつの時代も、伝道者には「自分が助言を仰ぐことのできる人」の存在が大切であると言える。その点でテモテは常に熱心な配慮と励ましを受ける幸いを得ていたことが2つの手紙からも推察される。
「テモテへの手紙Ⅰ」はパウロがローマで捕らえられていた時期に書かれている。パウロは一度解放されたものの再度逮捕され、かなり厳しい鎖に繋がれるような幽閉生活を強いられたのではないかと推察されるが、その中で手紙を書くということはどれだけ大変なことであったか。しかしパウロは獄中にあっても懸命に教会や同労者たちに手紙を書き送り続けた。まさにパウロは「福音を伝道した」だけではなく「牧会した」主の働き人であった。
テモテは「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたがたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になりなさい」(Ⅰテモテ4:6)との励ましを受けている。 聖書の言葉や信仰を「教える」奉仕者たちは、自分自身がそれらのものに絶えず養われていなければならない。我々には「礼拝」「聖書研究祈祷会」「教会学校」の場が与えられている。互いに教え合いながら常に「神の言葉への奉仕者」として養われていきたい。
続けて「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい」(4:7)とある。当時、聖書の言葉から外れ、自分の考えによる「作り話」を話す者たちがいたようである。しかしそうではなく、「あなたは信仰の言葉、よい勧めの言葉に立ちなさい」とテモテは励まされている。そして「信心のために自分を鍛えなさい」(4:7)とあるが、この「信心」という言葉は「心の持ちよう」ということではなく、「神の言葉に従う敬虔な信仰生活」を指す。「鍛える」とは「鍛練」(4:8)と同じ言葉であるが、“Gymnastics”(英)、つまり「信仰のための体操」「霊操」「霊的な訓練」を意味する言葉である。ではどのようにして「自分の信仰・霊性を鍛える」ことが可能となるのであろうか。それは「御言葉に聴き続け、祈り続ける」ことによって可能となる。「神との交わり」は「霊を鍛える」と言う面も有しているのであり、そのことがテモテに勧められているのである。「体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来たるべき世での命を約束するので、すべての点で益となるからです」(4:8)という言葉は、当時のキリスト者たちが格言のように用いていた言葉であると思われる。「永遠の命」「神の国」とは、永遠の世界で初めて実現するのではなく、今の世界で既に与えられているものでもある。そしてそれらのものは「すべての人」(4:10)のために用意されているのであり、誰をも排除するものではない。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモ2:4)とある通りである。その救いは主イエス・キリストによって実現し、信仰によって我々のものとされる。その意味において主イエスは「特に信じる人々の救い主」(4:10)でいてくださる。神は必ず約束を実現される。そして旧約聖書から新約聖書に至る歴史の中で、約束されたことを実現された。我々はその神に望みをおく。だからこそ「労苦し奮闘する」(4:10)のである。いつの時代も「福音」はこの世で歓迎されないことが多い。それゆえそこに「労苦と奮闘」が必要になる。しかし、我々はまことの神に「希望を置いている」(4:10)。その希望のもとに、我々の人生があり、託されている伝道のわざがあるのである。