聖書研究会 特別テーマ「家庭の教育、教会の教育」 2013/08/21 大田雅一
今日は9月に西川口教会の特別集会でお招きする川平朝清(かびらちょうせい)さんの著書を取り上げて、共に読んでいきましょう。
『わが家の子育て記録 ~ 犬はだれだ、ぼくはごみだ』(岩崎書店)2007.12.10
ちょっと風変わりなタイトルですが、読んでみると何のことはない。息子さん三人に週ごとにゴミ出し・犬の散歩・お使いという3種類のお手伝い当番を当てた。すると息子さんたちが「犬はだれだ、ぼくはごみだ」と週の初めに確認し合ったということです。子どもにお手伝いさせ、奉仕の自覚を持たせることの大切さを教えるエピソードでしょう。
この本には、副題にあるように川平家の子育て記録がいろいろ記されているのですが、今日はその中から教会の教育、聖書の教育に関連した部分を取り上げていきましょう。
「善いサマリア人」 宗教のこと
私たちが結婚できた第一の条件は、お互いにクリスチャンとして信仰に根づいた生活をしていこうという合意を持っていたことです。首里(しゅり)城跡に近い寒川町(さむかわちょう)に社宅を与えられたこともあり、沖縄キリスト教団首里教会に席を連ねることにしました。
したがって息子たちを乳児のときから、この教会に連れて行きました。教会堂と言っても壁面には弾痕の跡が残っているような建物を修復しただけの粗末なものでした。沖縄戦を生き延びてきた人たち、疎開先から帰郷してきた人たち、外地から復員してきた人たちや引き揚げてきた人たちと、それぞれに戦時中の辛酸と苦労を経てきた人ばかりでしたので、お互いに神によって生かされているという恵みをみんなで分かち合おうという慈しみに充ち満ちた雰囲気でした。
毎週日曜日には、息子たちをよそ行きの装いに整え、家族五人そろって、教会へ行くのが習わしでした。まだ、幼い頃は私たちの座る席で絵本を見たり、ぬり絵をしたりして過ごしていましたが、幼稚園へ行くころからはサンデースクールに加わることができ、聖書にも触れるようになりました。(川平、前掲書、141-142頁)
川平さんの奥さんはアメリカ人の方で、留学中に出会って結婚されたということです。大学での出会い、家族や友人など周囲の人の配慮など、さまざまなことがあったのですが、ここではクリスチャンとしての信仰が第一の条件にあったと明記しています。
沖縄キリスト教団は日本基督教団の系統のプロテスタントの教派ですが、その首里教会に家族で通っていたことが、川平家の教育の根底にあったことがわかります。
感銘を受けるのは、教会堂にまだ弾痕の跡が残っていたという話で、沖縄戦の生々しい傷跡がうかがえます。二十万人、四人に一人が死んだといわれる沖縄戦、教会に来る方にも、戦争で苦労した人達が多い中、信仰によって「お互いに神によって生かされている」という自覚と交流は普通以上に強かったに違いなく、見倣いたいと思います。
教会に行く時に、息子さんたちをそれぞれ「よそ行きの装い」にしたこともよいと思います。現在の教会はフランクでふだん着の方も多いですが、ある牧師さんは教会にはお洒落をしていくのもいい。人に対してというより神さまに対して敬虔な態度を現し、それを見る一般の方にも証をするためだ、と言っていました。みなさんはどうお考えですか。
教会に赤ちゃんのころから通っていた子どもたちは自然に教会になれ、そのうち日曜学校で聖書を学ぶようになりました。私も子どものころ、日本基督教団の附属幼稚園に通っていて、その時にもらった可愛い絵の描かれたみ言葉カード、クリスマスの聖劇、今でもよく覚えています。み言葉の種は、若い心の畑に蒔いておきたいものですね。
「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」(コヘレトの言葉)
では、息子さんたちが聴いた聖書のお話は、どのようなお話だったのでしょうか。その中から特に、二つのお話を川平さんは挙げています。まず、一つ目から。
そこでよく聞いたのが、イエスキリストの教えの中で、一番中心となる「隣り人を愛する」ことです。その代表となるのが、「善いサマリア人」のたとえ話です。これは新約聖書ルカによる福音書十章にある、律法の専門家が「私の隣人とはだれですか」とたずねたときにイエスキリストが答えたのです。新共同訳から引用しましょう。(10:30~34)
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下ってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」
この話を終えて、イエスはユダヤ律法の専門家に「あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」とたずねますと、律法の専門家は当然のように「その人を助けた人です」と答えます。(同書、142-143頁)
イエスさまが「隣り人を愛せ」と言われた、隣人愛の精神をまず挙げています。その代表的なお話として、よく知られているルカ伝の「善いサマリア人」のたとえを紹介しています。そして、このお話について、川平さんは次のように説明しています。
実はこの話はユダヤ人に対する強烈な皮肉を含んだ内容です。追いはぎに襲われたユダヤ人を見かけた、同じユダヤ人の祭司もレビ人も、神の道を説く人であり、またその祭司を補佐する身分でありながら、助けようとはせず、避けて通ったあと、なんと傷ついた人を助けたのは、常日頃、ユダヤ人が差別し、軽蔑していたサマリア人だったというのです。実はサマリア人もユダヤの血を引く人々なのですが、紀元前八世紀にアッシリアによって征服されて以来、地理的な状況から多くの移住民や異邦人との混血が多くなり、純潔主義のユダヤ人から排斥、差別化されていたのです。普通の考え方からすると、サマリア人としては自分たちを差別し、時には迫害するユダヤ人が追いはぎにあったところを見れば、いい気味だと思いながら、通り去ってしまっていたでしょう。隣り人を愛するということは、人種、性別、宗教などにかかわらず、その人をおもんぱかり、必要とあらば面倒を見、助け、時には食べさせ、癒すことであることを息子たちは学んだと思います。
(同書、143-144頁)
ここでは、民族差別のことが取り上げられています。当時のユダヤ人に偏見を持たれていたサマリア人が、かえってユダヤ人を助けてくれた。そのようなたとえ話をすることで、イエスさまは人種や民族にとらわれず、博愛の精神を持つことを教えられたのです。他に「サマリアの水くみの女」のエピソードなど、それがうかがえる話は多くあります。
そして川平さんが特に、その点に触れたのは理由があると思われます。というのは、川平さんは、当時まだ珍しい国際結婚のご家庭でした。沖縄ではそのような例も比較的多かったのかもしれませんが、まだまだ日本では多くなかったことだと思われます。
そのために、息子さんたちが差別的なことを言われたというエピソードも載っています。冗談からだったのですが、大工さんから混血といった意味の蔑称で呼ばれたこと。その後、その若い大工は棟梁から厳しく叱られるのですが、そういう偏見にも遭ったと思います。また、息子さんたちが通う学校でも、これは先生個人により違うと書いていますが、言葉や家庭のことなどに無理解な先生もいたそうです。
そのような環境で育った子どもたちに、特にこの「善いサマリヤ人」の話から、人種や民族にとらわれない「隣人愛」を訴えたのは、思い入れがあったのだと感じます。家庭でこのような平等、助け合いの精神を学ぶことは大切なことです。
では、二つ目のお話。これも有名なエピソードで、「タラントのたとえ」です。
もうひとつ、息子たちがよく聞いた話に、タラント(日本聖書協会刊の「新共同訳」ではタラントンになっています)のたとえというものがあります。これはマタイによる福音書二十五章にある話で、ある資産家がよく働く使用人には五タラント分のお金を、積極的とまではいかないが、それなりに仕事をこなしている使用人には二タラント分のお金を、最後にいつも消極的で能率の悪い仕事しかできない使用人には一タラント分のお金を預け、それぞれに事業もするように申し付けました。
タラントというお金は当時のギリシャの貨幣で六千ドラクス銀貨にあたり、一ドラクスが一日の賃金にあたるというのですから、一タラントは六十日分、安息日を除いて毎日働いて二十年分の賃金ということになります。さしずめ現代の月給二十万円のサラリーマンに換算すれば四千八百万円相当です。さて、その主人が旅行から帰ってきて、三人の使用人を呼び、その資産運用の結果を聞きます。五タラント(二億八千万円相当)を預けられた使用人はなんと二倍の十タラント(五億六千万円分相当)にしていました。二人目も預けられた二タラント(九千六百万円相当)をその二倍の四タラントにしていました。ところで三人目の使用人は一タラント(四千八百万円相当)という多額の資金を預かったことにただただ驚き、日本式に言えば、一円たりとも疎かにしない厳しい主人を恐れ、そのお金をすべて地中に埋めておいたというのです。この使用人に預けられた一タラントは取り上げられ、十タラントを作り出した使用人に与えられ、本人はクビになりました。
(同書、144-145頁)
みなさんよくご存じのお話ですが、ただし、川平さん独自の解釈も含まれています。
「よく働く使用人には五タラントを、それなりに仕事をこなしている使用人には二タラントを、いつも消極的で能率の悪い仕事しかできない使用人には一タラントを」とありますが、このことは聖書には書いてありません。
神さまは、よく働く人にはますます恵みを与えるというのもひとつのとらえ方ですが、どの人にどれだけのタラントを与えるかは、神のみ心次第でもあると思います。
むしろ金額の多い少ないよりも、与えられたタラントをどのように使うかということがとても大切なことです。たくさんのタラントをいただいても無駄にしてしまう人もいれば、少しのタラントでもそれを充分に活用して十倍、百倍にする人もいるはずです。
一タラントというのは三人の中ではもっとも少なかったといいますが、それでも約五千万円の大金だったわけですから、生かして運用することもできたでしょう。
一タラントもらった使用人が最もいけなかったことは「一円たりとも疎かにしない厳しい主人を恐れ、そのお金を地中に埋めておいた」ということでした。
原文で言えば「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり」というように、主人のことをとらえていたということです。その不信の心を、主人はお叱りになった。
ここで主人というのは、神さまのたとえです。神さまを、裁きの神、恐ろしい神ととらえていたことを、神さまは叱られたのです。イエスキリストの父なる神さまは、愛の神さまです。私たちにタラントを与えて、それを見守ってくださる神さまです。
もし、十タラントの資金を預かった使用人が失敗して、財産を無くしてしまったとしても、神さまはお怒りにはならなかったのではないでしょうか。自分に与えられたものを最大限に使おうと努力したのですから。神さまの信頼に応えようとしたのですから。
このタラントの教えというのは、神から恵みとして与えられた才能や特技、地位、財力などはよい目的のために伸ばし、増やし、そうして捧げよということなのです。このタラントから、一般的には芸能人、テレビ、ラジオなどの出演者などを意味するタレントになっているのですが、本来は才能や技量のことを言うのです。
息子たちの中の二人は、このタレントと呼ばれる職業人になっていますが、親として、イエスの教えられた、タレント(才能)は神の恵み、それにふさわしいように行動し、そうして感謝の気持ちを形にして、表すように願っているものです。(同書、145頁)
所謂(いわゆる)「川平3兄弟」と呼ばれる川平家の三人息子。ジョン・カビラ(川平慈温・じおん)、川平謙慈(けんじ)、川平慈英(じえい)。長男と三男はタレントになり、次男も日本マクドナルドのマーケティング本部長として活躍されていたそうです。
タレント、才能という言葉の語源が、まさにこの「タラント」ということだと説明されています。神さまはひとりひとりの人に、大きな才能を賜物としてくださっています。私たちは、神さまからいただいた才能、与えられた命を、土の中に埋めたままで無駄にすることなく、充分に活用してこの人生を生きていきましょう。
川平家では、長男が中学卒業、次男が中学2年、三男が小学4年の時に、「これからの生涯の中で五つのしたいこと」について、ご夫婦も含めて五人で話し合ったそうです。そのように将来について、家族みんなで話し合う機会ということも大切ですね。
勉強に意欲がわかないというお子さんが多いのですが、それは将来、何をやりたいかという進路が見えないからだ、ということがよくあります。逆に、この仕事をやりたいという目標ができてくると、自然にそれを目指して学習に取り組む例はよく見られます。
その家族での話し合いの時に、奥さんが朝清さんにこう言ったそうです。
「家内はこの家族会議について、他人のために何かをしようという意志を示したのは三男と自分だけ、あなたたちには、その気持ちはないの、と長男、次男と私の三人はたずねられて恥じ入るばかりだったことを、今も忘れてはいません」(同書、135頁)
将来の仕事や進路を考えるうえでまず、他人のために役立つことをしようとする。この精神も大切なことだと思います。まさに先に挙げた「サマリア人のたとえ」がそこで生きてくるわけです。しかし、イエスさまの言われたのは、「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」ということです。まず、自分を愛する。自分のタラントを信じ、自己実現を目指す。その過程で、どのように他人に奉仕し、社会に貢献するかが見えてきます。
人を愛するためには、まず自分を愛すること、そしてそのためには、まず愛されることが大切です。神さまに愛されている、家族に愛されていると感じることです。
もうひとつ、家庭の教育で川平さんがとても強調しているのが、スキンシップということです。アメリカ流で、日本ではあまりやりませんが「ハグ」、抱きしめるということが、とても大切だそうです。困っている時、悩んでいる時に、ぎゅっと抱擁してあげる。それだけのことですが、子どもは自然に親の愛情を感じて慰められる。
直接抱きしめなくても、いつもそばにいてあげること。それが一番大切なことだと、最近よく感じることがあります。喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者と共に悲しむ。重荷を共に背負って、迷っている人といっしょに道を歩いてあげること。悩みや苦しみを、解決を示すことができなくても、ただだまって聴いてあげること。
長男のジョンくんは、小学校の時に学校でのトラブルで不登校になったことがあるそうです。そんな時も、家族の支えがあったので、立ち直れたのではないでしょうか。彼はそれをきっかけに、小学生でアメリカの母の実家に留学し、見聞と体験を広げたのでした。
聖書の言葉ではなく、マザーテレサの言葉ですが、しめくくりに挙げておきます。
家内がよく口にするマザーテレサの言った言葉があります。
「世界は逆さまになってしまった。家庭に愛が少なくなってしまった。子どもたちのため、そしてお互いのための時間を失っているのではないだろうか。今の世界には多くの悲しみが、そうして苦しみがありすぎる。より大きいものとか、よりよいものとかに向けて忙しく、立ち回りしすぎて、肝心なお互いのための時間を持つことを忘れている」。
私たちは今でも家族はそれぞれに忙しいことがあっても、家族があっての自分という気持ちで、いっしょに過ごす時間をなるべく作るように心がけています。(同書、156頁)