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主日礼拝宣教要旨

「信仰の尺度で見る」 朴 思郁 牧師

2025年7月21日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:民数記 13章17-23節

「あなたたちは雄々しく行き、その土地の果物を取って来なさい。」

民数記13章20節

 民数記13章は、約束の地カナンを目前にして、イスラエルの民が偵察隊を送った記録です。この箇所は単なる軍事偵察の物語ではなく、神が約束された未来を前にして、一つの共同体が「どのものさしで現実を見るか」という根本的な選択を迫られた物語です。「信仰の尺度で見る」という主題のもと、価値観の混乱する現代の私たちに、真の「ものさし」とは何かを学んでまいります。
 第一に、聖書は「人間の尺度の限界」を示しています。モーセが偵察隊に与えた調査項目は、軍事力、防御力、経済価値の評価という極めて合理的なものでした。しかし、これらの評価基準は神に尋ねることなく、人間的な知恵から作られたものでした。その結果、神が「与える」と約束された地を「自分たちの力で征服できるか」という視点で評価することになってしまいました。現代においても、私たちは自分の能力や環境を基準にして神の約束を疑ってしまうことがあります。
 第二に、聖書は「豊かさが恐怖に変わる逆説」を教えています。二人で担がなければならないほど巨大なぶどうの房は、神の約束の確かさを示す圧倒的な証拠でした。しかし、同じ証拠が偵察隊にとっては最大の恐怖の源となりました。人間の尺度で測られた「良いもの」が、同じ尺度によって「恐ろしいもの」に変わってしまったのです。自分の力を基準にしてしか世界を解釈できない時、神の祝福さえも重荷となってしまいます。
 第三に、聖書は「信仰の尺度による新しい視点」を提示しています。イエス・キリストの視点で物事を見る時、強さではなく病んでいる者への配慮、城壁ではなく片隅に追いやられた人々への関心、経済力ではなく貧しい人々への愛が価値の基準となります。真の「雄々しさ」とは、敵を打ち負かす力ではなく敵を愛する力、苦難を避ける知恵ではなく苦しむ人々と共に歩む勇気なのです。
 現代において「信仰の尺度で見る」とは、この世の効率や利益、軍事力や国益という基準ではなく、イエス・キリストの愛と正義という価値観で現実を判断することです。偵察隊が「棒に通して二人で担いだ」ぶどうの房は、神の恵みが個人の所有物ではなく、共同体で分かち合うべきものであることを象徴しています。
 私たちの信仰生活の目標は、この世の成功基準に合わせることではなく、日々の選択において意識的に神の価値観を用いることです。私たちの恐れは、神への障壁ではなく、真の「ものさし」を学ぶ機会となりうるのです。

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