2025年6月8日(日)
主日礼拝 宣教要旨
聖書箇所:フィリピの信徒への手紙 2章5-11節
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
フィリピの信徒への手紙 2章6-8節
ペンテコステは「教会の誕生日」と呼ばれ、聖霊降臨によって弟子たちが大胆に福音を語る者へと変えられた記念すべき日です。この日、恐れて隠れていたペトロが三千人の前で力強く説教し、迫害者サウロが伝道者パウロへと劇的に変わりました。しかし、何より驚くべきは、神ご自身が私たちのために変わってくださったということです。
フィリピの信徒への手紙2章の「キリスト賛歌」は、この神の究極的な変化を歌っています。全能の神が人間となり、王が僕となり、永遠の方が十字架で死なれるという、前代未聞の変化です。神は私たちを力ずくで変えることもできましたが、愛によってご自身を変えることで、私たちに変化の道を開いてくださいました。
第一に、私たちは「変わることを恐れない信仰」へと招かれています。教会生活が長くなると保守的になり、変化に消極的になることがあります。しかし、聖霊は常に新しい風をもたらします。神がまず変わってくださったという確かな根拠があるからこそ、私たちも安心して変化を受け入れることができるのです。
第二に、私たちは「キリストの心を心とする共同体」へと導かれています。文語訳では「汝ら、キリスト・イエスの心を心とせよ」と訳されたように、互いにキリストの心をいただく中で、教会は真の共同体となります。それは、へりくだり、相手を自分よりも優れた者として尊重し、愛し合うことです。
第三に、私たちは「聖霊による変化の恵み」を体験する者とされています。ペンテコステで「炎のような舌が一人一人の上にとどまった」ように、聖霊の働きは画一化ではなく、それぞれの個性を生かしながら一つの体として結び合わせます。変化は私たちの意志や努力だけでは限界がありますが、聖霊の力によって根本的な変化が可能になります。
この「変わる恵み、喜ぶ共同体」としての歩みは、私たちの完璧さによるものではありません。計画が思い通りにいかないことも、困難に直面することもあります。しかし、神が働かれる場として、私たちは希望を失うことなく歩み続けることができます。神の恵みは私たちの想像を遥かに超えて大きく、キリストの十字架はすべての人のためのみわざです。
私たち一人ひとりが、聖霊の導きに敏感になり、変化を恐れることなく、むしろそれを喜ぶ共同体として成長していくこと――それこそが、神によって遣わされたこの地域において神の愛と希望を証しする道なのです。