斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想と話し合いのポイント
聖書教育誌の内容からは「集団の中で、全体の意見に反対する勇気」、「偏愛は分断の始まり」、「思い通りに行かない時の正しい問題解決方法」などについても考えさせられます。
今回も、ヨセフ物語と新約聖書の福音書に多くの類似点があることに着目して参ります。ご一緒に確認して行きましょう。なお、以下の内容はかなり想像の翼を広げた解釈となっています。すべての内容に賛同できない方がおられることを前提としています。しかし、ルカによる福音書24章44節で主イエスは「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」と語っています。私たちは旧約聖書における主イエスの預言については、福音書でも取り上げられる預言者の書『イザヤ書』53章や『詩編』などを通してよく知っています。しかし、モーセが書いたとされる、『創世記』から始まる旧約聖書の最初の5つの書、すなわち「わたしについてモーセの律法」にも、主イエスに関する預言が語られていることは必ずしも具体的に知られていません。今回のヨセフ物語シリーズがその理解の一助になればと願っています。
◆ヨセフ、エジプトに売られる
37:12 兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、 37:13 イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」とヨセフが答えると、 37:14 更にこう言った。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、 37:15 野原をさまよっていると、一人の人に出会った。その人はヨセフに尋ねた。「何を探しているのかね。」 37:16 「兄たちを探しているのです。どこで羊の群れを飼っているか教えてください。」ヨセフがこう言うと、 37:17 その人は答えた。「もうここをたってしまった。ドタンへ行こう、と言っていたのを聞いたが。」ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
*14節によれば、ヤコブ一家は神がかつて示されたベテル(35章1節「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい」参照)ではなく、父や祖父が最後を過ごしたヘブロンに滞在していました。なお、ユダの地ベツレヘムはヘブロンの北25㎞近辺➔これは、ユダ族出身のイエスの父ヨセフがユダヤの地に住まずに、ガリラヤのナザレに住んでいたことと対比できます。
*ヨセフが向かったシケムやドタンの場所も聖書地図で確認しましょう。兄たちは、ヘブロンから北に約75km離れたシケム(聖書地図3「カナンへの定住」参照)からさらに北上して、通算115㎞離れたドタン(聖書地図5「南北王朝時代」の中央付近、かつナザレの約30㎞南)まで羊の遊牧をしていたことになります。遊牧の範囲の広範さに驚きます。
37:18 兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、 37:19 相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。 37:20 さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」
*兄たちは、イエス時代の律法学者やパリサイ人と対比できます。弟ヨセフを殺そうと策略を企てる兄たち➔主イエスを殺す計画を企てた律法学者たちと対比できます。
*兄たちの動機には、ヨセフの預言めいた夢が、ヨセフ自身が死んだらどうなるのか「見てやろう」というものも含まれていました。➔「イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう」と語った律法学者たちと対比できます。
37:21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」37:22 ルベンは続けて言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。37:23 ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、 37:24 彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。 37:25 彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。 37:26 ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。 37:27 それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。37:28 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。 37:29 ルベンが穴のところに戻ってみると、意外にも穴の中にヨセフはいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、 37:30 兄弟たちのところへ帰り、「あの子がいない。わたしは、このわたしは、どうしたらいいのか」と言った。
*ヨセフが兄たちによって殺害されかける場面は、主イエスの受難と復活の場面と様々な点で対比できます。晴れ着をはぎ取られたヨセフ➔服を兵士たちに取り上げられた主イエス。
*ヨセフを穴から救った商人たちは乳香、没薬などの積荷を持っていました。➔主イエスの十字架刑と葬りに用いられた没薬を連想させます。十字架刑と葬りの場面とは、『マルコによる福音書』15章23節「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」。葬りの場面とは、『ヨハネによる福音書』19章39節「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。」
*十二人兄弟の長男のルベンは、主イエスの十二弟子のリーダー格であったペトロと対比できます。
- ヨセフを助けようとしたルベン➔ゲッセマネの園でイエスを助けようとしたペトロ。
- また、ヨセフを見に穴に行ったが、そこに弟を見つけることができずにうろたえたルベン➔墓穴に行ったが主イエスの死体がないことにうろたえたペトロ。
*兄のユダは、イスカリオテのユダと対比できます。
- 兄のユダはお金でヨセフを売ろうと提案➔銀貨30枚でイエスを裏切ろうとした弟子のユダ。
- また、ヨセフが殺されることを望んではいなかった兄ユダ➔イエスが殺されることを望んでいなかった、イスカリオテのユダ。
37:31 兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。 37:32 彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせた。 37:33 父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」 37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。 37:35 息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。37:36 一方、メダンの人たちがエジプトへ売ったヨセフは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長であったポティファルのものとなった。
*ヨセフがいなくなったのを偽装しようとした兄たち➔主イエスの復活を偽装しようとしたファリサイ人たちと対比できます。
*また、ヨセフはこの後しばらくの間、家族と関係者たちには死んだものと考えられてしまいます。➔次の話につながるエジプトへと売られ、そこで数々の苦難を受けていくヨセフの姿は、キリストのこの世での数々の受難を示唆すると共に、死んで復活されるまでの間、黄泉において苦しまれた姿と対比することができます。
*兄たちの仕打ちに対して、ヨセフ物語はヨセフ本人が兄たちに語るセリフは一切ありません。沈黙し続けるヨセフ➔これも裁判の際に沈黙を通された主イエスの姿と重なり合うのではないでしょうか。
*他にも主イエスの人生と対比できる内容があることでしょう。果たして主イエスご自身は、ヨセフ物語からどのようなことを当時読み取ったのでしょうか。想像の翼がますます広がる今回のヨセフ物語です。
アイキャッチ画像 thanks! to Randall BillingsによるPixabayからの画像