斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟から発行されています。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
パウロが手紙を書くきっかけになったのは、パウロたちの後からやって来たユダヤ人クリスチャンたちが、元は異邦人だったクリスチャンたちも律法の教えに従わないと救われない、と教えていることが聞こえて来たからでした。パウロはそれにどのように反論したのか注目しましょう。
◆パウロ、ペトロを非難する
2:11 さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。 2:12 なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。2:13 そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。
>>>ケファとは、エルサレム教会の指導者となったペテロのことです。また、ヤコブとは十二弟子のヤコブのことではなく、同じく指導者となった主イエスの兄弟ヤコブのことです。初代教会の中心的な指導者たちが、次々に異邦人と食事をしなくなっていったことに対して、パウロが抗議したことが語られています。信仰の担い手たちがこぞって、このような内向きで閉鎖的な信仰生活に陥ってしまった理由とは何だったのでしょうか。私たちの信仰生活においても問われる内容です。
2:14 しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか。」
>>>いつの時代もプロテスタント=抗議する者たちが必要になることを教えられます。
◆すべての人は信仰によって義とされる
2:15 わたしたちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。 2:16 けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。2:17 もしわたしたちが、キリストによって義とされるように努めながら、自分自身も罪人であるなら、キリストは罪に仕える者ということになるのでしょうか。決してそうではない。
>>>15節と17節は非常に難解な箇所です。聖書教育誌とその他の注解書をご参照下さい。一方、16節には、パウロの信仰義認の考えが明確に打ち出されています。これこそがパウロの反論の根拠になっていると言えるでしょう。即ち、律法の教えに従って異邦人と食事を一緒にしないようにしたとしても、それによって神に義とされることはないとパウロは語ります。キリストへの信仰のみによって人は義とされ、救われると主張しているのです。
2:18 もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、わたしは自分が違犯者であると証明することになります。 2:19 わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。 2:20 生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 2:21 わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
>>>律法を徹底的に実行することによって神に義とされ、救われるという従来のユダヤ人たちの信仰理解を否定して始まったキリスト教のはずが、再び律法の実践を重視するならば、それは矛盾するとパウロは言います。パウロには、クリスチャンたちを捕まえて殺してしまうという取り返しのつかない過去がありました。決して神に赦されるはずがない彼が、キリストを信じる信仰によって義とされる喜びを実際に体験したのです。キリストへの信仰によって救われるということがどれほど感謝なことか、そして大きな犠牲を伴うものであったかを、だれよりも実感しているパウロの言葉ではないでしょうか。
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アイキャッチ画像は上記よりいただきました