斎藤 信一郎 牧師
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
最近の聖書教育誌は「おはなし」に力を入れ、子どもから大人までが傾聴できる工夫がなされていることをご存知の方も多いかと思います。そして、それに続く「解釈のポイント」~各「・・・科」の内容も目が離せません。
是非、聖書教育誌をお持ちでない方はお買い求めいただき、聖書教育誌の内容もご参考にされることをお薦めします。この誌面は聖書教育誌と合わせて読むと、豊かな聖書理解ができるように考えられています。
今回は、読む人の視点によって様々な解釈が可能な聖書箇所です。2~4節の「主の祈り」の解釈や9~10節の「求めよ、そうすれば与えられる~」などは、スモールグループでの分かち合いに適しており、学ぶたびに新しい発見ができると思います。
◆◆祈るときには
11:1 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
>>>主イエスはどんなに忙しい時でも祈りを大切にされる方でした。表現を変えると、祈りなしには神の御心に生きることができないことを理解していました。主イエスの祈りの姿は弟子たちを惹きつけたことでしょう。
11:2 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。1:3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 11:4 わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
>>>マタイによる福音書6章は「主の祈り」の原型となっている箇所で、ルカよりも詳しい祈りになっているのに対し、ルカが報告している主の祈りはより簡潔に5つの要素に絞っています。神そのものに思いを向ける祈り、神が実現したい御国に思いを向ける祈り、その日の全世界の人々の霊的・肉体的必要のすべてに思いを向ける祈り、罪の贖いに思いを向ける祈り、そして霊的誘惑への戦いに目を向ける祈りの5つです。この5つの要素を主イエスは大切にして祈っておられたのです。
11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
>>>祈りには、祈り求める本人の真剣さ、真心も大切だということが示されます。そして、祈り求める相手に対する信頼の深さも大切だと示されます。
11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
>>>以下に語ることは、一つの解釈として受け止めて下さい。他にも様々な解釈の仕方があることが前提です。祈りにも段階があると示されます。祈りに集中する段階、祈りつつ探し求める行動を伴う段階、そして祈りつつ、誰かの協力によって目的の扉が開かれていく段階です。求める祈りは心の中で出来ます。探す祈りとは、目や体を移動させて行動が伴うことが前提の祈りです。そして、門をたたく祈りとは、協力者を必要とします。祈祷会などはこれに分類することができます。主イエスの結論は、神は常に最善・最高のものを子どもに与えたいと願っている父親のようなお方だということです。だからこそ、神の一人子イエス・キリストの十字架のあがないと復活を通して私たちに与えられることが約束されている聖霊の助けと導きさえも、神は真剣に求めるものに与えてくださると約束しておられるのです。共に主イエスが教えられた主の祈りの豊かさに与かって参りましょう。