西川口キリスト教会 斎藤信一郎
今月の主題…「神の臨在と祝福の中に生きる幸い」
◆詩編について・・・その1
今月は詩編の4つの箇所を取り上げます。毎回、少しずつ詩編の全体像についても冒頭で取り上げ、理解を深めていきます。
新共同訳は「詩編」と書くのに対して、口語訳や新改訳は「詩篇」と書きます。口語訳の3章1節の前に、冒頭句として「ダビデがその子アブサロムを避けてのがれたときの歌」と書かれていたものが、新共同訳では1節「賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子アブサロムを逃れたとき。」となります。従って、冒頭句がある場合には、他の聖書と1節ずつずれる箇所が多く存在するため、聖書同士を比較参照する場合に、節がずれることがあるので注意が必要です。ただし、今回の第1編のように冒頭句がない場合には、どの聖書でも節は一致することになります。
詩編は伝統的には、楽器などと一緒に礼拝で用いられていたことが冒頭句から読み取れます。4編1節では「指揮者によって。伴奏付き。賛歌。・・・」とあります。5編では「・・・笛に合わせて・・・」。他にもギティト・ムトラベン・マスキールなどという楽器に合わせて詩編が朗読されたこと、あるいは賛歌として歌われたことが書かれています。通常の礼拝や記念礼拝に合わせて各詩編が用いられていたことが伺えます。
他にも冒頭句から様々な形式の詩編があることが分かって参ります。是非、ご自分で確かめてみて下さい。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
◆黙想のポイント
詩編は神賛美を歌にしたものです。感謝なことも、苦しいことも、常に見守り続けて下さり、すべてを益に変え、癒し、慰めて下さる神への深い信頼が根底にある信仰者たちの賛歌です。神賛美としての詩編であることを常に意識しながら読み、黙想しましょう。
◆本文
1:1 いかに幸いなことか
何が幸いだといいたいのかに注目しながら第1編を見ていきましょう。1節は深入りすべきではない3つの領域について言及しています。それらの領域に関わらないことこそ、幸いに通じる大切なこととして語られます。
/神に逆らう者の計らいに従って歩まず
最初の領域とは、神に背く者たちからの誘惑や罠に注意し、初めから関わらない、それらから遠ざかることだと言えます。このような知恵、分別、救いを与えて下さる神に感謝しましょう。
/罪ある者の道にとどまらず
前の句とこの句との違いはなんでしょうか。前の句では事前に誘惑から逃れることができたという前提でしたが、この句は違います。誰もが時には罪を犯してしまうことがあります。大切なのは、中途半場な状態に留まらずに直ちに悔い改め、罪ある者の道から遠ざかることです。それができる人も幸いです。罪を自覚させ、悔い改めに導く聖霊の働きに感謝しましょう。
/傲慢な者と共に座らず
「傲慢な者」とは、罪を悔い改めることをせず、開き直って神の御心に背き続ける人を指すものと考えられます。「共に座らず」とは、傲慢な者たちと共に過ごす時間を、極力制限することを指すと考えられます。神を悲しませるような生き方をする人とは、時には意識的に距離を置くことも必要です。キリストは十字架のあがないを通して罪から、遠ざかることの重要性と緊急性を私たちに示して下さっていることに感謝しましょう。
1:2 主の教えを愛し
1節の領域を普段から意識し、それらから遠ざかる人というのは、主の教えを心から愛する人だといいます。具体的には、どのようなことを心掛けるといいのでしょうか。以下にヒントが示されます。
/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
この聖句は昼と夜に限定して行うことを意味してはいないでしょう。聖書のみ言葉、賛美、祈りを朝も昼も晩も、起床時も就寝前も、その他あらゆる場面において一日中、絶えず口ずさむことが助けになるといいます。ここで注目したい言葉は「口ずさむ」という言葉です。心の中で行う行為としてではなく、より積極的な行動として口に出して心の中にある想いを表に出すことを勧めています。他の人に主の教えを分かちあうことも念頭に置かれているのかも知れません。
1:3 その人は
そういう人に、神さまはさらに、どのような祝福を導いて下さるのかが引き続き語られます。
流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び…
木が育つために不可欠な、水や栄養が豊富にある環境に移植された時のような祝福があるといいます。そこでは順調に育ち、豊かに実を結ぶ幸いが待っているのです。
/葉もしおれることがない。
人生には日照りや強風などの困難も多少はあるでしょう。しかし、日ごろから豊かな成長を導かれ、地中に深く根を張っている木は、葉っぱに至るまであらゆる困難に耐えることができるように導かれるという約束です
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
主なる神からの確かなみ言葉に養われている人は守られ、成長できるだけでなく、あらゆることにおいて神に豊かに用いられるという希望が語られます。
1:4 神に逆らう者はそうではない。
彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。
幸いを得る人と対照的なのが、神に逆らう人です。少しの風でも定位置にいることができずにもてあそばれ、吹き飛ばされるもみ殻として表現されています。
1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず
神に逆らって生きる人は、結果的に人生が定まらないだけでなく、最終的には神の裁きから逃れられないことが語られます。
/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。
「罪ある者」とは自分の罪を認め、悔い改めて神に罪の赦しを請い、神が(御子イエス・キリストを通して)与えて下さる幸いに生きることを拒み続ける人を指します。「神に従う者の集い」とは天国での生活を指します。神の目から見て罪ある傲慢な人は、最終的には天国における集いに参加できなくなると語ります。厳密には、天国で生活したくても、聖なる神の臨在がすべてに行きわたっている天国では、自分の罪にいたたまれなくなって、神がせっかく用意して下さった天国におけるあらゆる祝福から、自ら遠ざけてしまう結果を招くことになることが警告されています。
1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。
神に逆らう者の道は滅びに至る。
神が常に私たちの幸いを願い、導き、常に人生に目を配っていて下さるお方だということを感謝しましょう。その確信をいつも持って日々を歩む者こそ、幸いな者ということができます。
◆話し合いのポイント
- 聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」などを参考にして下さい。
- 青年成人科の「話し合いのポイント」や少年少女科の「おはなし」少年少女科のコラムも考えさせられます。