西川口キリスト教会 斎藤信一郎
今月の主題…「約束を誠実に実行し続ける神」
◆前回からの今回の箇所までのあらすじ
アブラハムの僕は、主人の親戚がいるチグリス川とユーフラテス川付近にあったと考えられているアラム・ナハライムのナホルの町まで旅をします。そして親族のリベカがイサクの嫁にふさわしいと示され、家族に会ってイサクの嫁にもらう承諾を得、イサクの元へ連れて帰ります。
今回25章前半の箇所は、アブラハムの再婚とその子どもたちへの対応、そしてアブラハムの葬儀の二つの話からなっています。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に聖書地図で確認し、違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
今月の主題である「約束を誠実に実行し続ける神」が、今回の箇所でどのように表現されているのか考えながら黙想しましょう。時間にゆとりがあれば、様々な登場人物の、その時々の心境について黙想することもお薦めします。アブラハムは高齢であるにも関わらず、なぜ再婚しようと考えたのか。再婚に応じたケトラの心境。後に遠くに移動させられたケトラの子どもたちの心境。その決断をした時のアブラハムの心境。父の葬儀に招かれたイシュマエルの心境。葬儀の際の、アブラハムの家族それぞれの心境など、登場人物たちの場面ごとの心境を黙想することによって、考えさせられることや気づかされることが多くあります。
◆ケトラによるアブラハムの子孫
25:1 アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。 25:2 彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。 25:3 ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。 25:4 ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。
>>>アブラハムが、サラが亡くなった後に再婚したことが語られます。歴代誌上1章32節の系図にも同じことが記されています。この系図では、ケトラは正式な後妻として迎え入れられたというのではなく、側女(そばめ)であったとされています。彼女がどういう人種だったのかは不明ですが、6人の子どもが生まれます。従って、アブラハムには一生の間にイサクとイシュマエルを含め、8人の子どもがいたことになります。ケトラとの間に生まれた子どもに関しての情報には偏りが見られ、次男のヨクシャンと四男ミディアンの二人の情報に集中しています。ヨクシャンの子どもシェバと言えば、ソロモン王の時代にアフリカ北部に位置するシェバの国の女王が尋ねてくる話が出てきますが(列王記上10章)、その祖先と考えられます。また、もう一人の子デダンは、その子どもたちの名前も語られています。ミディアン人は旧約聖書に度々登場し、後になればなるほど敵対関係になって行きます。始めは、ヤコブの子ヨセフを穴から引き上げてイシュマエル人に売ったことで、彼がエジプトに連れていかれるきっかけを作った部族として登場します(創世記37章28節)。モーセの姑で、祭司でもあったエテロもミディアン人でした。(出エジプト記3章1節他)
25:5 アブラハムは、全財産をイサクに譲った。25:6 側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。
>>>長男イシュマエルを母ハガルと一緒に手ぶら同然で去らせた時とは、待遇が大きく違っています。イシュマエルの時は、神の命令に従って翌朝早くハガルたちをパンと水だけ与えて(創世記21章14節)去らせましたが、今回は状況が少し違っています。それなりの財産を持たせて移住させています。ケデム地方とはアラビア半島にあった地域だと考えられています。
◆アブラハムの死と埋葬
25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。
>>>アブラハムは満ち足りた人生を送ったことが語られます。15章15節「あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。」で、神があらかじめアブラハムに預言していたことが成就したと語られています。
25:9 息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、25:10 その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。
>>>かつてアブラハムがヘト人たちから買った墓に葬られました。この墓と土地は、アブラハムが生涯で唯一手に入れた土地であり、ここに親子三代までが葬られていくことになります。父から遠ざけられた兄イシュマエルと共に、そこで葬儀を行ったことが印象に残ります(聖書教育誌がこの箇所について解説している内容もご参照下さい)。
25:11 アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。
>>>イサクが近くに住んだとされるベエル・ラハイ・ロイは、かつてハガルがサラの仕打ちに耐えきれなくなって逃亡し、荒野をさ迷った時に神の使いが現れた場所です(16章13-14節)。今回の箇所の直前24章:62節には「イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。」とあり、イサクの生活圏内に普段からあった場所だったことが分かります。
この箇所で、アブラハムが死んだ後になって、初めてイサクが神に祝福されていくかのような表現がありますが、正確には、神はアブラハムとその子孫が地上の氏族の祝福の源になると約束されました。従って、アブラハムの存命中は、その祝福の中にイサクもいたことになります。そして、アブラハムが亡くなったことにより、次にイサクに神の約束が受け継がれたと理解することができます。今月の主題である「約束を誠実に実行し続ける神」の姿がここにも語られています。
参考)初代アダム~アブラハムの孫であるアダムから数えて22代目になるヤコブの誕生までは、それぞれの父親がいくつになった時に後継者が生まれたかが聖書には以下の箇所で記されています。創世記5章の系図(初代アダム~10代目ノア)、並びに同11章10節以降の系図(11代目セム~19代目アブラハムの父テラ)、同21章5節(イサクが誕生した時のアブラハムの年齢100歳)、同25章7節(アブラハムの生涯年齢175年)、同25章26節(ヤコブが誕生した時のイサクの年齢60歳)、同35章28節(イサクの生涯年齢180年)。そして、ヤコブについては生涯年齢だけが創世記47章28節に記されています(147歳)。これらの情報から驚くべき年表を作成することができます。初代アダムが存在するようになった年を創世記元年として作成すると、20代目のアブラハムは概ね創世記1948年に誕生し、175年生きて創世記2123年に召天した計算になりますが、アブラハムが誕生した年まで10代目ノア(600年生きて2006年没)以降のすべての祖父たちがまだ生きていたことになります。また、アブラハムが死んだ時、祖父たちの内11代目セム(2158年没)、13代目シェラ(2126年没)、そしてヘブライ人の祖とされる14代目エベル(2187年没)の三人はヤコブの誕生後まで長生きし、ヤコブと12人の子どもたちのために執り成し祈っていたことになります。アブラハムも、少なくともヤコブの誕生の時にはまだ生きていた計算になります。聖書に示される生涯年数については、実際にそれだけの年数生きたのかどうかという議論よりも、それらの数字が示唆している真理について理解することが大切です。アブラハムがこの地上での使命を全うし、満ち足りて死ぬことができた背後に、ノア以下の歴代の祖父たちの執り成しの祈りがあったことを覚えておきたいと思います。神の家族である教会員が、互いに執り成し祈り合うことの祝福と意義につながる真理です。
アモス3章7節「まことに、主なる神はその定められたことを/僕なる預言者に示さずには/何事もなされない。」つまり、神は僕たちに御心を示し、僕たちの執り成しの祈りを用いてみ業を成就して行かれるということです。この力強い神のみ業に私たちも招かれていることを自覚し、その使命に励みましょう。
◆話し合いのポイント
- 聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」などを参考にして下さい。
- 青年成人科の「話し合いのポイント」や少年少女科の「おはなし」少年少女科のコラムも考えさせられます。