西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「土の器を用いて御業を行われる神」
◆今回の箇所の背景
もともとの議論は、パウロが、エルサレム教会からの正式な推薦状を持っていないと非難されたことへの反論でした。これに対してパウロは、推薦状よりも、聖霊の導きの中で教会からの祈りによって派遣されることの方が重要だと主張します。その上で3章9節で「人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。」と語ります。すなわち、これまで長年に渡ってユダヤ人たちが大切にして来た律法は、例外なくすべての人が神に対して罪があることを宣告する務めを果たして来ました。これに対してキリストの福音は、その罪人に神の義をもたらす役割を果たしていると主張しています。そして、3章18節で語っているように「これは主の霊の働きによる」、つまり聖霊の働きによると主張します。この理解を前提に今回の箇所は展開しています。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
様々な信仰問題を意識しながらも、パウロの内側から溢れてくる、主から与えられている平安と感謝を意識しながら本文を黙想しましょう。
◆土の器に納めた宝
4:1 こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。4:2 かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。4:3 わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われているのです。4:4 この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです。
>>>エルサレム教会などからの推薦状を持っていないことで、自分を差別する人々がいたとしても落胆しないと語るパウロ。悪魔による様々な妨害を念頭に置きつつ、今後も神と福音を聞く人々の良心に判断を委ねると宣言します。
4:5 わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。4:6 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
>>>推薦状は本人のための証明書です。しかし肝心なのは、主イエス・キリストが宣べ伝えられていることだとパウロはいいます。創世記1章の天地創造の場面を連想させる聖句を用いながら、目に見える証明書よりも、罪に支配されている人々の暗黒の心にキリストの福音の光を届けるという、パウロの確固たる意志が伝わってきます。
4:7 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
>>>立派な器ではなく、ごく普通の土の器をあえて用いて下さる神を強調するパウロ。聖書教育誌がわかりやすく説明していますが、たとえば金で出来た立派な器だと、器自身が目立ってしまいます。これに対して、土の器だと中にある宝に焦点が当てられ、並外れて偉大な神の力がより強調されると言います。
4:8 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、4:9 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。4:10 わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。4:11 わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。4:12 こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります
>>>12節などは特に難しい表現ですが、パウロのこれまでの数え切れないほどの、死と隣り合わせの福音宣教の実体験から語られる、実感のこもった言葉ではないでしょうか。何事も自分が思い描いたようには行かないこの世の現実と自分自身、それをありのままで用いて御業を行われる神への信頼が表現されています。
4:13 「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。4:14 主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。4:15 すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
>>>すべては主イエスから新しく始まったことを思い返すパウロ。そして、今も主イエスの復活の希望の中に生きるパウロでした。一見、コリント教会内で自分を非難する人々がいることに対するパウロの弁明や、コリントの教会員の世俗的な信仰に対する悔い改めについて語っているような内容です。しかし、パウロにはもう一つ別の視点が見えているようです。それは、かつて自分自身もそうであったように、コリントの教会員が現在体験している様々な信仰の問題を、さらなる信仰の成長のために神が用いて下さること。そして、やがて彼らの信仰体験が、さらに多くの信仰者のため用いられることを確信していることです。その恩恵を受けている者たちの中に、私たちも含まれていることを感謝します。
◆話し合いのポイント
・聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」を参考にして下さい。