西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「キリストの犠牲の精神」
◆今回の手紙の背景
7章以降は、先に受け取った手紙と、伝え聞いていたことに基づいて個別に語っていきます。11章前半では、礼拝時の女性のかぶりものについての考え方を語った後、今回の箇所を通して主の晩餐の精神について語ります。前提として、当時主の晩餐は毎週のように行われていたこと。今日のように象徴的に小さなパンとぶどう果汁を用いたのではなく、最後の晩餐で描かれているような当時のパンとぶどう酒、他の食材も食べていました。また、パウロは主の晩餐に限定して語っているのではなく、教会での会食全般における問題点について語っています。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。 http://www.bapren.com/index.html (『聖書教育』ホームページ)
◆黙想のポイント
私たちが教会で行う主の晩餐の意義と精神について、今回の箇所から黙想しましょう。
◆主の晩餐についての指示
11:17 次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。
>>>パウロはかなり思い切って語ります。このような現実があるくらいならば、教会での集会をしない方がましだと語り、問題の深刻さを表現しています。
11:18 まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。11:19 あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。11:20それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。
>>>信仰の道を踏み外してしまった信徒を正す時に起こりがちな口論まで問題だと言っているのではない、と述べた上で、すぐに核心部分にせまります。教会内の問題に正しく対処できていないということは、主の晩餐の精神に正しく生きていないということだと語ります。
11:21 なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。11:22 あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。
>>>具体的に表面化していた教会の問題とは何か。ひとつは、会食の時に貧しい人たちが取り残されていたということです。パウロは、根本原因は主の晩餐の精神の欠如から来ていると嘆きます。
◆主の晩餐の制定
11:23 わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、11:24 感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。11:26 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
>>>それでは、主の晩餐の精神とは何でしょうか。第一に、主イエスが示された比類のない自己犠牲の愛に対する感謝を込め、祈って始めていくものであること。第二に、主イエスの十字架のあがないを通して示された神の愛を、教会で実践し合うことが求められていること。第三に、主イエスが示した無条件の赦しと愛に込められた、神の新しい契約(福音)に招かれた教会は、この世に対してそれを証することが求められていること。そして第四に、主イエスが再臨されることを日々自覚し、今日が再臨の日になっても恥ずかしくない覚悟で福音宣教に励むようにとパウロは語ります。
◆主の晩餐にあずかるには
11:27 従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。11:28 だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。11:29 主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。11:30 そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。
>>>主の晩餐のこの精神こそ、キリストが世の終わりまで継承するように教会に託された大切な使命だと語り、コリントの教会で起きていた問題は、この信仰のブレから生じていると主張します。その証拠として、コリントの教会ではそれ以前のエルサレムの教会で起きていたような、顕著な奇跡は行われていなかった様子を伝えています。
11:31 わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。11:32 裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。11:33 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。11:34 空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。
>>>私たちを悔い改めへと導く神の愛と憐れみを忘れず、キリストの体としての役割を十分に理解して互いに実践し合うように勧めます。
◆話し合いのポイント
- 聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」を参考にして下さい。
- 独自の信仰告白がある教会は、その中の「主の晩餐」の項目にどのように主の晩餐理解が語られているか、再吟味する機会にするのも良いでしょう。