西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
今月の主題…「キリストにある一致」
黙想のポイント
・3か月に渡ってコリントの信徒への手紙から、み言葉を聞いていきます。そこで今回この紙面では、パウロがどのような経緯でコリントの教会と関わるようになったのか、使徒言行録13~19章ならびにコリントの信徒への手紙1章の前半から理解を深めて参ります。この機会に使徒言行録を合わせて読みながら、神がパウロに与えられた豊かな出会いと、同労者たちとの協力伝道を黙想しましょう。
<原則として、ご自分で聖書本文を読み、黙想してから以下の文章、聖書教育誌、その他の参考文献を読むことをお奨めします。また、黙想の際に違う聖書訳を比較して読むこともお奨めします。>
※『聖書教育』誌は日本バプテスト連盟発行の教会学校教案誌です。詳細は下記のURLでご照会下さい。http://www.bapren.com/index.html
(『聖書教育』ホームページ)
◆パウロの伝道旅行の概観とコリント人への手紙が書かれた経緯
パウロは、使徒言行録によると三回伝道旅行に出かけています。
第一回目は、バルナバと共に、キプロス島およびガラテヤ地方(現在のトルコ)中心に伝道を行います。
第二回目は、シラスを連れて再びガラテヤ地方などを通りながら、今度はギリシャ半島のあるマケドニア地方まで足を延ばします。この時に一番長く滞在したのが、1年半に渡るコリントでした。
コリントで、最初は同業のテント張り職人アキラとプリスキラと行動を共にし、その後ティティオ・ユストの家を拠点に伝道します。そして特別に、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」という神の励ましの言葉を受けて、逆境の中1年半に渡って伝道を展開します。
コリント伝道の終わりの方で、パウロはユダヤ人の一団によって法廷に訴えられてしまいますが、地方総督に取り上げられなかったために事なきを得ます。しかし、そのせいで会堂長ソステネが暴行を受けることになります。このソステネが、今回のコリントの信徒への手紙1章1節で「パウロと、兄弟ソステネから」と言及されている人物だと考えられています。
コリントを発ったパウロとアキラとプリスキラたちは、小アジア地方(現在のトルコ)の西海岸沿いにあるエフェソの町に、船で移動します。そこでアキラとプリスキラと分かれて、パウロはエルサレムに戻ります。一方、エフェソで分かれたアキラとプリスキラは、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けた、アポロという人物と出会い、彼にキリスト信仰を伝えます。その結果アポロは献身し、コリントに行って伝道に励むことになります。コリントの信徒への手紙1章10節からの話では、コリントにおいてアポロ派、パウロ派、ケファ(ペトロ)派、キリスト派などと分裂が起きていたことが語られていますが、コリントでのアポロの活躍が、逆に垣間見える場面です。
パウロはエルサレムで伝道旅行の報告をした後、再び第三回目の伝道に出かけますが、エフェソに戻って今度は約3年間滞在します。この間にコリントの教会における諸問題を耳にし、今回のコリントの信徒への手紙が書かれます。コリントの教会が直面した問題は現代にも通じる内容です。私たちの現実と照らし合わせながら、み言葉に聞いて参りましょう。
◆神の力、神の知恵であるキリスト
1:18 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」
1:20 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、1:24 ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。1:25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。1:26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。1:27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。1:28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。1:29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。1:30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。1:31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
>>>パウロがこのように語る背景には、前述したように、コリントの教会で分派と諸問題が起きていたことがあります。そんな彼らを、もう一度キリスト中心の群れに導こうとする、パウロの想いが伝わってくるような内容です。聖書教育誌が言及しているように、1章11節には「実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。」とあり、家の人たちという表現は奴隷を指す可能性があることを示唆しています。こう考えると、26~27節で「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。」と語った意味も理解できます。共に「十字架につけられたキリスト」(23節)にあって、一つとされて歩んで参りましょう。
◆話し合いのポイント
・聖書教育誌の「話し合いのポイント」および少年少女科の「活動」を参考にして下さい。