西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「世の中で信仰を貫き通すには…どんな信仰が必要か、何が罠になりやすいか」
◆今回の学びを始めるにあたって
神の指示によって、300人に絞り込まれた兵士たちと行った奇襲作戦は見事に成功します。これをきっかけに戦いは拡大し、イスラエルに大勝利がもたらされ、ミディアン人たちの連合軍は大敗します。今回の話しはこの続きになります。聖書教育誌の各科に良くまとめられていますので、そちらをご参照下さい。代わりにこの紙面では6章~8章までの広い範囲から導かれる重要なポイントに目を向けたいと思います。
黙想のポイント
・今回の箇所で、ギデオンは金のエフォドを造ってそれを大事に自分の町に安置します。祭司の家系でもないギデオンは、なぜこのような物を造って大切にしたのでしょうか。結果的にそれが一族とイスラエルの罠になってしまうエフォドです。これを理解するには、ギデオン物語全体から考える必要があります。特に、今回の聖書教育誌で取り扱わなかった、ミディアン人たちと戦いを開始する前の6章25~32節の内容が重要な役割を担っていますので、後で参照します。
◆今回の箇所
8:22 イスラエルの人はギデオンに言った。「ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください。」
8:23 ギデオンは彼らに答えた。「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる。」
>>>イスラエルの民は当時の周辺諸国の風習に倣ってギデオンを彼らの統治者となるように懇願しました。しかも、世襲制を提案しました。しかし、ギデオンはそれをきっぱりと断りました。
8:24 ギデオンは更に、彼らに言った。「あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪をわたしに渡してほしい。」敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。
8:25 人々は、「喜んで差し上げます」と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。
8:26 彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに三日月形の飾り、垂れ飾り、ミディアンの王たちがまとっていた紫布の衣服、らくだの首に巻きつけてあった飾り物があった。
8:27 ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった。
>>>ミディアン人たちは、広義にはイシュマエル人に属していました。彼らには金の耳輪を付けるしきたりがあったようです。そこで、金の重さにして20㎏相当の戦利品である金の耳輪を願い求めたギデオン。それでエフォド(=口語訳聖書ではエポデ)という普通大祭司が儀式の際に使う祭服を集まった金で作ります。なぜギデオンはそのような物を造ろうと考えたのでしょうか。その説明が8章にはありません。そのため、ギデオン物語全体から考える必要があるのです。
そこで、ギデオンがミディアン人たちに勝利できた理由を探る所から始める必要があります。部隊を300人に絞った後でギデオンが部下のプラを連れて敵陣の偵察をした時の箇所を参照しましょう。
7:9 その夜、主は彼に言われた。「起きて敵陣に下って行け。わたしは彼らをあなたの手に渡す。
7:10 もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、
7:11 彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことができる。」彼は従者プラを連れて、敵陣の武装兵のいる前線に下って行った。
7:12 ミディアン人、アマレク人、東方の諸民族は、いなごのように数多く、平野に横たわっていた。らくだも海辺の砂のように数多く、数えきれなかった。
7:13 ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた。「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった。」
7:14 仲間は答えた。「それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ。」
7:15 ギデオンは、その夢の話と解釈を聞いてひれ伏し、イスラエルの陣営に帰って、言った。「立て。主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった。」
>>>ここで肝心なのは、なぜミディアン人の兵士たちがそれほどギデオンを恐れていたかと言うことです。ギデオンはまだ一度も戦で功績も名声も挙げていないのです。そこで考えられることは一つです。この話しの前の6章で神がギデオンに指示した出来事です。
6:25 その夜、主はギデオンに言われた。「あなたの父の若い雄牛一頭、すなわち七歳になる第二の若い牛を連れ出し、あなたの父のものであるバアルの祭壇を壊し、その傍らのアシェラ像を切り倒せ。
6:26 あなたの神、主のために、この砦の頂上に、よく整えられた祭壇を造り、切り倒したアシェラ像を薪にして、あの第二の雄牛を焼き尽くす献げ物としてささげよ。」
6:27 ギデオンは召し使いの中から十人を選び、主がお命じになったとおりにした。だが、父の家族と町の人々を恐れて日中を避け、夜中にこれを行った。
6:28 翌朝早く町の人々が起きてみると、バアルの祭壇は壊され、その傍らのアシェラ像も切り倒されていた。築かれた祭壇の上に第二の若い牛がささげられているので、
6:29 人々は口々に、「誰がこんなことをしたのか」と言った。尋ねまわってヨアシュの子ギデオンの仕業だということが分かった。
6:30 町の人々はヨアシュに言った。「息子を出せ。息子は殺さねばならない。バアルの祭壇を壊し、傍らのアシェラ像も切り倒した。」
6:31 ヨアシュは、責めたててやまない人々皆に向かって言った。「あなたたちはバアルをかばって争うのか、バアルを救おうとでもいうのか。バアルをかばって争う者は朝とならぬうちに殺される。もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう。」
6:32 ギデオンがバアルの祭壇を壊したので、「バアルが彼と争うがよい」と言って、父はその日ギデオンをエルバアル(バアルは自ら争う)と呼んだ。
>>>バアルの祭壇とアシェラ像を拝む者たちにとって、ギデオンがしたことはとんでもない神への冒涜でした。どんなひどい呪いと不幸がギデオンの身に起きてもおかしくないと、それらを拝む者たちが考えてもおかしくない場面です。実際、オフラの町の人々までがたたりを恐れて、ギデオンを殺さなければならないと一時は考えたほどです。幸いギデオンの父ヨアシュの言葉でギデオンは事なきを得ますが、そのうわさが遠くミディアン人たちまで伝わって行き、バアルとアシェラ神を冒涜したにも関わらず、平然とその後も生き続けているギデオンがイスラエル軍を率いているとのうわさはどれほど衝撃的だったことでしょう。その時からギデオンはエルバアルというあだながついたほどです。6章32節では「バアルは自ら争う」と訳されていますが、私訳では「バアル(の神)の神(ギデオン)」と訳した方がいいのではないかと思います。何故なら「エル(正確にはYEL、英語発本ではJEL)」という単語はエルサレムなどの単語にも使われ、平和の基(Peace of Foundation)と訳すことができます。従って、エルバアルも「バアルの基」となり、バアル神の基だとするならば、バアル神の神と理解していくことができるからです。こちらの方が意味も通じます。
神のこのような用意周到なお膳立てがあったからこそ、ギデオンはわずかな手勢300人を引き連れて敵陣に向って行く時に、わざと「ギデオンのため」と部下たちに付け加えさせているのです(7章20節)。それがもたらす効果を偵察ですでに理解していたからです。
7:20「三つの小隊はそろって角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、右手で角笛を吹き続け、「主のために、ギデオンのために剣を」と叫んだ。
>>>今回の箇所の8章29節から、再びギデオンではなくエルバアルというあだなで何度か登場します。その理由のひとつに、ギデオンがエルバアルと呼ばれるようになった箇所がギデオン物語を理解する上で重要な役割を果たしていたからでしょう。
8:28 ミディアン人は、イスラエルの人々によって征服されたので、もはや頭をもたげることができず、ギデオンの時代四十年にわたって国は平穏であった。
8:29 ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。
8:30 ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。
8:31 シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた。
8:32 ヨアシュの子ギデオンは、やがて長寿を全うして死に、アビエゼルのオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。
8:33 ギデオンが死ぬと、イスラエルの人々はまたもバアルに従って姦淫し、バアル・ベリトを自分たちの神とした。
8:34 イスラエルの人々は、周囲のあらゆる敵の手から救い出してくださった彼らの神、主を心に留めなくなった。
8:35 彼らはまた、イスラエルのために尽くしてくれたエルバアル、すなわちギデオンのすべての功績にふさわしい誠意を、その一族に示すこともしなかった。
>>>さて、そこでもう一度最初の疑問に戻ることにしましょう。ギデオンはなぜエフォドを造ったかと言うことです。これまでの内容から推理できることは、祭司の家系でもないギデオンが、神は彼に本来祭司職専任のレビ人がするような行為、つまり祭壇を造らせ、偶像を薪として利用し、犠牲を捧げさせるようなことを命じられました。そのことが、ギデオンたちが戦いに勝利する上で決定的な役割を果たし、それを記念し、いつも覚えて感謝するために、祭司職を象徴するエフォドを造ったのではないかと考えられます。エフォドにはギデオンたちを勝利に導いた、神の指示の思い出が詰まっていたというわけです。
このように、イスラエルの民の統率者になることを辞退し、神の御業をエフォドを造って記念しようとするギデオンでしたが、8章が伝えることは、やがてそのギデオンがおごり高ぶり、王のように多くの妻を持っただけでなく、シケム(イスラエルとしばしば敵対した異教の神を信じる民族)出身の女性を側女にして子どもを産ませる等、神の道に外れることを多くしています。十戒にもあり、旧約聖書全体の重要な理解として偶像を造ってはならないという教えがありますが、ギデオンが神の御業を記念するために造ったと考えられるエフォドも、偶像となってしまい、結果的に彼の一族を再び偶像礼拝(聖書ではこれをしばしば33節のように「姦淫」と表現)へと堕落させてしまうことになります。そのような意味で、ギデオンが造らせたエフォドが27節にあるように「罠になった」のでしょう。
>>>最後の34~35節も残念でなりません。
分かち合いのポイント
・ギデオン物語は現代の教会、そしてクリスチャンへの問題提起にもなっています。始めは正しい神への礼拝姿勢であっても、人間はいとも簡単に形式的な礼拝に陥ったり、クリスチャンでありながら神の道に外れる生き方をしてしまう存在です。偶像礼拝は礼拝が形式的になり、本来の意味が見失われるところから始まります。偶像を排除することからもたらされたギデオンならびにイスラエルの勝利というギデオン物語の中心部でしたが、一方ではいとも簡単にかつての過ちに舞い戻ってしまう人間の弱さが示されています。私たちの礼拝の今、そして現実が問われているのです。