西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「福音をどう伝えるか」
◆今回の学びを始めるにあたって
今回はテキストの内容はほぼ聖書教育誌にお任せし、著者であるルカおよびルカが書いた福音書の特徴を他の福音書と比較しながら理解を深めて行きます。
◆著者について…
◇異邦人?イスラエルに住んでいなかった?…ルカは4福音書の記者の中で唯一異邦人だったと考えられる人物です。(Wバークレー注解書)
◇ルカの専門職…コロサイの信徒への手紙4章14節には「愛する医者ルカとデマスも、あなたがたによろしくと言っています。」とあり、ルカは医者だったことがわかります。
◇ルカが意図している本書の対象者…宛先にはテオフィロというおそらくローマ帝国の高官だった人物に宛てて書かれています。このことからも分かるように、4福音書中唯一異邦人への福音宣教を前提にして書いている福音書です。この次にルカ福音書の特徴を他の福音書と比較して理解を深めて行きますが、この理解が常に影響していきます。
◆ルカ福音書の特徴
◇マタイとルカだけが系図を載せており…
マタイによる福音書が最初の出だしでイエスの家系図をユダヤ人の祖であるアブラハムから始め、ダビデ王などにも言及しています。これに対し、ルカによる福音書も系図を載せていますが、3章に後退し、順序をイエスから始まり、簡潔に名前だけを紹介し、アダム、そして神へと起源をさかのぼらせています。異邦人にはマタイのような信仰の祖であるアブラハムを起源にした系図はあまり興味を引くものではなかったのも確かでしょう。また、3章の出だしを見ると、イエスが生まれたのが「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。」とローマ人だからこそ興味を持つと考えられる時代背景を詳しく書いています。
◇マタイとルカだけが主イエスの誕生話を詳しく載せており…
マタイはイエスの父であるヨセフへの受胎告知から始め、東方の博士たちが訪ねて来る話しを載せていますが、ルカは四福音書の中で一番多くの情報を載せています。しかも、それはイエスのいとこのバプテスマのヨハネの両親の話しから始まり、母マリア(口語訳と新改訳ではマリヤ)の受胎告知と羊飼いたちへの告知の話しへと続き、マタイによる福音書と大きく異なった内容になっています。その後、8日目に割礼を受けて正式にイエスと名付けられる話しや神殿に行ってシメオンとアンナという二人の老人たちに祝福される話しが語られています。さらにはイエスが12歳の時に再度一族でエルサレム神殿に巡礼に行った時の逸話が報告されており、異邦人たちに主イエスがどのような生い立ちをした人物だったのかということを四福音書中で一番丁寧に報告しています。
◇共観福音書としてのルカによる福音書…4つの福音書の中で最初のマタイ、マルコ、ルカの三つは共観福音書と呼ばれます。理由は、まずマルコによる福音書が最初に書かれ、これを元に独自の資料を加えてマタイとルカによる福音書が書かれたからです。そのために三福音書ともそっくりの内容がある一方、マタイとルカでは出来事の時系列や内容の詳細が異なっている話しも多くあります。イエスの降誕話や15~16章にかけての内容はほぼルカによる福音書独自の内容になっています。
◇祭司の家系を強調…マタイによる福音書がユダ族、王の家系の子孫であるイエスを強調したのに対して、ルカは母マリアが祭司の家系であったことを強調し、いとこのバプテスマのヨハネの両親がどんなに立派な祭司だったかという話しから丁寧に福音書を書き始めています。
◆ルカとパウロとの出会いは?
◇ルカは使徒言行録も書いた人物ですが、文章中に「わたしたち」というキーワード
16章10節「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」
から、少なくともパウロの第二回目の伝道旅行の途中、現在のトルコの最西端のトロアスからは同行していたことが分かっています。その後エーゲ海を渡ってギリシャ半島に行き、フィリピ16章11~12節には「わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。」とあることから少なくともフィリピまでは同行したことが確実です。その後、「わたしたち」の記述は途絶え、第三回目の伝道旅行の際に再びパウロがフィリピに行った時から再び頻繁に「わたしたち」という表現が登場するようになるため、ルカはフィリピにそのままずっと滞在していたのかも知れません。その後、「わたしたち」という表現はパウロが捕えられてローマに護送される道中でも登場し、ルカはローマまでパウロに同行したことが分かります。
◇執筆年代
ルカが福音書を書き始めたのは使徒言行録1章1-2節「テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。」との記述により、使徒言行録を執筆する前だと言うことがわかります。そこでおよそ西暦58年頃と考えられています。また、パウロがローマで処刑されるまで執筆していますので、およそ61年頃までと考えられています。
分かち合いのポイント
・ルカは異邦人に主イエスと弟子たちの伝道を伝えるために工夫しながら執筆しました。私たちも日本において独自の伝道方法で伝道していいのだと励まされます。今日の日本の環境下では、どのように伝道をするのがいいのでしょうか。それぞれに分かち合いましょう。