西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
総合テーマ 「福音をどう伝えるか」
黙想のポイント
・天使、羊飼い、町の人々、マリアのそれぞれの立場に立って黙想してみましょう。
◆イエスの誕生
2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
>>>ルカが異邦人を念頭に書いていることがこの箇所からも分かります。イエスが生まれたのが初代ローマ皇帝アウグストゥス(前27~紀元14年)とシリア州の総督キリニウスがいた時代(前6~7年頃)だったことを明らかにしています。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
>>>妊婦を連れて120km以上ある道のりをベツレヘムまで旅しなければなりませんでした。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
>>>昔からイエスが生まれたのは馬小屋だったというイメージがありますが、聖書にはイエスが馬小屋で生まれたと書いてある箇所はありません。当時、馬はローマ兵士たちが使用する乗り物だったようです。従って馬小屋に彼らが案内されたとは考えにくいのです。むしろ、羊やろばなどがいる一般の家畜小屋に案内されたと考えるのが妥当です。また、そう考えると、羊飼いたちがすぐに場所を探し当てることができたのもうなずけるのです。一時的に人口調査に対応して設けられたと考えられる多くの民宿の中からイエスを探さなければならなかったとしたら、それこそ大変だったことでしょう。
◆羊飼いと天使
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
>>>ルカが強調するのは、真っ先に救い主の知らせを告げられたのが羊飼いたちだったということです。当時の羊飼いたちは敬虔なユダヤ人から、「主日礼拝を守れない人たち」として差別されていました。そんな羊飼いたちに「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と語ります。また羊飼いたちにとって普段からよく知っている家畜小屋の飼い葉桶に乳飲み子が置かれていることなど、本来有り得ないことです。しかし、天使は「これがあなたがたへのしるし」だと語りました。「しるし」とは、神から与えられる特別な証拠を意味します。神は羊飼いである彼らだからこそ分かる特別な場所で、神の御業を確認しなさいと告げたのです。さらに言えば、彼らは神殿があるエルサレムに近いベツレヘム付近にいた羊飼いたちです。彼らが世話をしていたのはやがて神殿で犠牲として神に捧げられる羊たちだったのかも知れません。そのような羊飼いたちに、やがて十字架に架かって私たちの罪をあがなう犠牲の死を遂げることになる救い主の誕生の知らせが真っ先に知らされたことに、神の憐みとご計画を感じずにはおれません。
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
>>>どんなに心のこもった極上の賛美だったことでしょう。この時の羊飼いたちがうらやましいですね。
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
>>>本来なら信じられないような天使の言葉でしたが、羊飼いたちはそれを信じ、また確かめるために行動に移ります。そしてすべてが事実だったことを確認した彼らは、その後、自ら進んでキリストの誕生の知らせを人々にしたと言うことでした。やがて全世界に広がって行くキリスト教の福音宣教を連想させる箇所です。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
>>>ただし、羊飼いたちは民衆に届く福音宣教の言葉を知りませんでした。彼らのせっかくの喜びの知らせは民には「不思議」にしか思ってもらえませんでした。天使たちが羊飼いたちに一番分かりやすい方法で彼らをイエスへと導いたのに対し、羊飼いたちは民衆に届く言葉を持ち合わせていなかったことも民が不思議に思っただけで、実際の行動に移らなかった一因だと考えられます。福音宣教の極意のようなことをこの箇所から教えられるのではないでしょうか。聞く相手に合わせて福音宣教の言葉を選ぶ必要を示されます。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
>>>ここでもマリアの信仰が伺えます。彼女は羊飼いたちのことを「不思議」に思ってすぐに忘れるのではなく、この出来事の背後にある神の御業を理解しようとして、その後も思いめぐらしたのです。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
>>>クリスマスの喜びとは、かくありたいと思わされます。私たちも羊飼いたちに負けない礼拝と賛美と福音宣教に励みましょう。そして、聖霊の助けをいただきながら人々に届く言葉で福音宣教に励みたいと願わされます。
2:21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。
>>>現代で言えば、八日後はちょうど新年にあたります。元日にキリストは天使が指示したイエスという名前を付けられ、公の生涯を開始されたのです。クリスマスの祝福が全世界の人々にありますように、お祈りいたします。
分かち合いのポイント
・それぞれの立場に立って考えたことについて自由に分かち合いましょう。
P.S. 次週のこの紙面はお休みです。聖書教育誌をご参照下さい。4月の受難日夕拝の最後に脳梁出血で動けなくなり、緊急入院しました。幸い命守られ、皆さまの祈りに支えられて8月から少しずつ仕事に復帰し、体調に注意しながらここまで無事に来ることができました。私のために祈り、あるいは様々な仕方でご協力下さった皆様に心から感謝申し上げます。来年もどうぞ、よろしくお願いします。