西川口キリスト教会 斎藤 信一郎 牧師
◆今回の学びを始めるにあたっての前提
この箇所は分類上第二イザヤに属しています。近代神学の研究から、イザヤ書は三つの違うグループの著者によって書かれた可能性があることが論じられています。聖書教育誌の15ページに書かれている日髙嘉彦先生の解説を是非ご参照下さい。
王国が南北に分裂した後のイスラエルの歴史を外観すると、紀元前721年頃に北王国イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされ、民は外国に連れ去られます。続いて前586年頃に南王国ユダが次に権力を握ったバビロニア帝国によって滅ぼされ、残りの民も他国へ連れ去られてしまいます。その後ペルシャ帝国が実権を握り、キュロス王の寛容政策によってイスラエルの一部の民が城壁の修復と神殿再建の許可を得て、エルサレムに帰還することが赦されます。詳細はエズラ記とネヘミヤ記をご参照下さい。その後様々な事情で中断した後、前520年頃にペルシャのダレイオス王の時代に再開し、515年頃に神殿再建が終了します。これを第二神殿時代と呼びます。ハガイ書とゼカリヤ書もご参照下さい。今回の箇所はこの中のペルシャ王キュロスに関わる箇所となります。
黙想のポイント
・キュロスの役割を果たすのはペルシャ帝国の王キュロスですが、主イエス・キリストの果たす役割としても黙想しましょう。
◆キュロスによる解放
44:24 あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。
>>>贖い主とは、人間が神に対して犯す罪を適切に裁く存在であると同時に、どんなに重罪で、本人に償い切れない罪であっても、その責任を代わりに取ることができる存在だということを指しています。聖書はそのような権限は天地創造の唯一の神しか持たないとしています。その神は、この世の命の根源を生み出し、またそれぞれに霊魂を与えることのできる唯一の存在だと聖書は語っています。そして広大な天もとこの大地のすべての創造者だということをこの節は主張しています。ここで使われる「贖い主」という言葉はキリスト教ではイエス・キリストを指す言葉だということは誰もが理解できることだと思います。
44:25 むなしいしるしを告げる者を混乱させ/占い師を狂わせ/知者を退けてその知識を愚かなものとする。
>>>次にイザヤが語るのは、神はこの世界における様々な間違った占いや偏った情報を教える者に対して裁きを行われるということ。しるしとは占星術の類を指すものと考えられ、様々な占いをする者たち、そして真実の神についての偏った知識しか持っていないにも関わらず、驕り高ぶっている智者を裁くと言う意味だと考えることができます。
44:26 僕の言葉を成就させ/使者の計画を実現させる。エルサレムに向かって、人が住み着く、と言い/ユダの町々に向かって、再建される、と言う。わたしは廃虚を再び興す。
>>>神の御心を行う者の言葉も計画も成就させ、実現されるために、私たちと共に働かれる神だと語ります。この箇所は南王国ユダが敵国によって滅ぼされたことが前提ですが、やがて神がエルサレムとユダの町々を再建されるとの預言になっています。
44:27 深い水の底に向かって、乾け、と言い/お前の大河をわたしは干上がらせる、と言う。
>>>どんなに深い海も、どんなに広大な隊がでさえも、全能の神には干上がらせることができることを語り、どんなに不可能に思えることでも実現できるお方だと言うことが主張されています。
44:28 キュロスに向かって、わたしの牧者/わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い/神殿には基が置かれる、と言う。
>>>この節と次節は、ペルシャ帝国のキュロス王が捕囚の民となったイスラエルの人々を帰還させるという歴史的事実と重なり合う内容になっています。その一方で、「わたしの牧者」、神の「望みを成就させる者」、神殿の土台となる「基」という表現がイエス・キリストを指す言葉にもなっています。
45:1 主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ/どの城門も閉ざされることはない。
>>>キュロス王は秀でた外交手腕を持ち、圧力と交渉によって武装解除を成し遂げて行ったようです。この表現には神が率先してキュロス王を助け「彼の右の手を固く取り」つつ、周辺諸国を治めて行くことが語られています。因みに、このキュロス王は宝物庫に保管されていた神殿祭具類とイスラエルの民に一定の献げ物を拠出させて、神殿再建が出来るように支援しています。なぜ、このような寛容な処置を行ったのでしょうか。そのヒントがエズラ記の1章に書かれています。特に冒頭の2節に注目すると、「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。」とあります。この内容から伺えることは、キュロス王は主なる神のおかげで、世界征服が実現したと認識しています。そして、この神が自分に命じて、エルサレムに主のための神殿を再建するように促したと語っているのです。このことから、キュロス王はおそらく捕囚の民の影響によって、聖書の神を認めるように導かれ、ある時点で主なる神のお告げがキュロス王に直接あったことが考えられます。歴史の背後で、すべての民を用いて働かれる神の御業が伺えます。そして、この箇所の「油注がれた人」という表現や平和裏に武装解除を行い、世界平和を実現するキュロス王は、イエス・キリストがやがて行う救いの御業を指し示す預言になっているのではないでしょうか。
分かち合いのポイント
・短い箇所ですが、豊かな内容が語られています。自由にこの箇所からの感想を分かち合いましょう。