西川口キリスト教会 斎藤信一郎 牧師
総合テーマ 「苦難に正しく向き合うための信仰」
◆今回の学びを始めるにあたっての前提
4章~14章では、ヨブを訪ねて来た3人の友人たちが7日間ともに無言のまま過ごしたあと、それぞれ1回ずつ対話します。最初はテマン人エリファズ、次にシュア人ビルダド、そして3番手はナアマ人ツォファルです。この3人との対話が一通り終わると、15章~21章まで2巡目の対話が、そして22章~31章まで3巡目の対話が行われます。両者の対話が一段落したところで、突然第4の人物、エリフが登場します。彼は、エリファズたち3人と始めから7日間ヨブに寄り添っていたかどうかは不明ですが、少なくともヨブと3人のこれまでの対話を聞いていた人物です。32章から、エリフの言葉が始まり、延々と37章まで続きます。その後に主なる神が登場して、ヨブ記も大詰めを迎えます。
黙想のポイント
・エリフの主張は、それまでのヨブの3人の友人たちとどのように違うでしょうか。また、その言葉はヨブの慰めと励ましになっているでしょうか。そして、この第四の登場人物が、ヨブ記で果たす役割とは何でしょうか。
◆エリフの言葉
32:1 ここで、この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分は正しいと確信していたからである。
32:2 さて、エリフは怒った。この人はブズ出身でラム族のバラクエルの子である。ヨブが神よりも自分の方が正しいと主張するので、彼は怒った。
>>>この章はエリフという登場人物がいきなり2つの怒りを表す形で始まります。最初の怒りとはヨブに対する怒りで、ヨブが神よりも自分の方が正しいなどと主張することによって神を冒涜し、自分を弁えないことについての怒りです。
32:3 また、ヨブの三人の友人が、ヨブに罪のあることを示す適切な反論を見いだせなかったので、彼らに対しても怒った。
32:4 彼らが皆、年長だったので、エリフはヨブに話しかけるのを控えていたが、
32:5 この三人の口から何の反論も出ないのを見たので怒ったのである。
>>>もう一つの怒りとは、ヨブの3人の友人たちへの怒りで、ヨブに適切に反論できなかったことへの怒りでした。
32:6 ブズ人バラクエルの子、エリフは言った。わたしは若く/あなたたちは年をとっておられる。だからわたしは遠慮し/わたしの意見をあえて言わなかった。
>>>エリフは北部アラビアの3部族の一つ、ブズ人に属していました。彼は先の3人の友人たちよりも年がずっと若かったようです。それで遠慮していたと説明します。
32:7 日数がものを言い/年数が知恵を授けると思っていた。
32:8 しかし、人の中には霊があり/悟りを与えるのは全能者の息吹なのだ。
32:9 日を重ねれば賢くなるというのではなく/老人になればふさわしい分別ができるのでもない。
32:10 それゆえ、わたしの言うことも聞いてほしい。わたしの意見を述べてみたいと思う。
>>>エリフは8節で、自分の方が彼らより優れていると必ずしも主張したいのではなく、全能なる神の霊の助けこそ必要不可欠のものだと主張します。ここにエリフの論点の特徴を見ることができます。
32:11 わたしはあなたたちの言葉を待ち/その考えに耳を傾け/言葉を尽くして論じるのを聞き
32:12 その論拠を理解しようとした。だが、あなたたちの中にはヨブを言い伏せ/彼の言葉に反論しうる者がない。
32:13 「いい知恵がある。彼を負かすのは神であって人ではないと言おう」などと考えるべきではない。
32:14 ヨブはわたしに対して議論したのではないが/わたしはあなたたちのような論法で/答えようとは思わない。
>>>彼らの論法とは、これほどの災いが起きたのはヨブが何らかの罪を犯したに違いないと主張し、罪を認め、悔い改めない限り、神の赦しと憐みを請うことはできないと主張していました。これに対してエリフはどう主張したのか。聖書教育誌の今回の範囲ではありませんが、この紙面では次章33章を取り上げることにします。
33:6 神の前では、わたしもあなたと同じように/土から取られたひとかけらのものにすぎない。
33:7 見よ、わたしには脅かすような威力はない。あなたを押さえつけようとしているのではない。
>>>前の3人が神の側に自分を置いていたのに対し、エリフは自分をヨブと同じ側に置いています。
33:17 人が行いを改め、誇りを抑え
33:18 こうして、その魂が滅亡を免れ/命が死の川を渡らずに済むようにされる。
>>>エリフは永遠の命の希望が残されていることを語ります。
33:23 千人に一人でもこの人のために執り成し/その正しさを示すために/遣わされる御使いがあり
33:24 彼を憐れんで/「この人を免除し、滅亡に落とさないでください。代償を見つけて来ました」と言ってくれるなら
>>>エリフは人間側の単なる悔い改めの努力だけでなく、神から執り成し手が遣わされ、そのお方が代償を払って下さることによってこそ、救いは実現すると主張します。
33:25 彼の肉は新しくされて/若者よりも健やかになり/再び若いときのようになるであろう。
33:26 彼は神に祈って受け入れられ/歓びの叫びの内に御顔を仰ぎ/再び神はこの人を正しいと認められるであろう。
>>>この神の側の一方的な憐れみによってこそ、人は新しくされ、健やかさを取り戻すことができると主張します。また、このあがないがあるからこそ、人は神に祈ることが赦され、神に義とされることができると語ります。
33:27 彼は人々の前でたたえて歌うであろう。「わたしは罪を犯し/正しいことを曲げた。それはわたしのなすべきことではなかった。
>>>人間はなかなか自分の方から罪責告白することはできないものです。しかし、エリフが主張する神の側からの執り成しが始まり、それを受け入れる時に、その人は人々の前で自分の罪を賛美しつつ告白できる者に変えられていくことができると語ります。
33:28 しかし神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」と。
33:29 まことに神はこのようになさる。人間のために、二度でも三度でも。
>>>この神の救いに与る人は、喜んで神の救いを宣教し、たとえ失敗をその後も重ねてしまったとしても、神は彼を忍耐強く二度でも三度でもその人を義へと導いて下さると語ります。これらのエリフの一連の言葉はまさに私たちも預かっている福音宣教の中核をなす言葉ではないでしょうか。私たちは共にこの福音によって召されていることを改めて感謝したいと思います。
分かち合いのポイント
・エリフはどこか聖霊や復活の主イエスを連想させないでしょうか。自由にエリフの果たす役割について思ったことを分かち合いましょう。