2016年9月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 9/11日 列王記下4章25-37節「手を手に重ねて」
総合テーマ 預言者の使命
予備知識…~今回の箇所までの概略
前回)エリヤが炎の馬車に乗って天に引き上げられるのを見たエリシャは、彼の望み通りにエリヤの力強い業を引き継いでいた。その後、水が悪い町の水を清める。また、エリシャを剥げ呼ばわりし、自分の師同様に天に昇って行けと口汚くあざけった子どもたちに呪いをかけた結果、二頭の熊に42人の子どもたちが襲われて死ぬ結果になる。子どもと言えども神の預言者を軽んじ、かつ年上の者の死を持て遊ぶような言動を口にする者たちには厳しい裁きが待ち受けることが示唆される。従って、一見子どもを呪うなど、むご過ぎると思えるようなエリシャの対応だが、子どもを神から授かった親が正しく神と人を敬うように子どもたちを育てるべき責任が逆説的に教えられていると考えられる。
3章)北イスラエルがアハブからヨラムの治世に代わると、それまで服従していたモアブが反旗を翻す。そこでヨラム王は南王国ユダのヨシャファト王とエドムの王に協力を求めて、モアブに立ち向かおうとするが、直前で水不足に陥る。その際にエリシャの助けを求めた結果、水の難は解消し、戦いも敵の仲間割れによる大勝利を治める。
4章前半)預言者の仲間で、二人の子どもを持つ女性が、夫が死に、債権者に追われていることを告げ、助けを求める。そこでエリシャは彼女に空の壺をできるだけ多く用意させ、そこに彼女が持っていたわずかな油を注ぐように言い付ける。その結果、すべての壺は油で満たされ、その油を売ることで借金を返済し、生計も立てられるようになる。
その後、エリシャは裕福だが、子どもがいない夫婦の元に度々居候することになる。そのお礼に彼は子どもが授かるように祝福すると、その通りになる。しかし、その後ある時、子どもが頭痛を訴えて死んだため、彼女はエリシャの元を訪れ、助けを求めに行く。
黙想のポイント
・預言者と言えども限界があることを黙想しましょう。
◆エリシャの奇跡
4:25 こうして彼女は出かけ、カルメル山にいる神の人のもとに来た。神の人は遠くから彼女を見て、従者ゲハジに言った。「見よ、あのシュネムの婦人だ。
4:26 すぐに走って行って彼女を迎え、『お変わりありませんか、御主人はお変わりありませんか。お子さんはお変わりありませんか』と挨拶しなさい。」彼女は、「変わりはございません」と答えたが、
4:27 山の上にいる神の人のもとに来て、その足にすがりついた。ゲハジは近寄って引き離そうとしたが、神の人は言った。「そのままにしておきなさい。彼女はひどく苦しんでいる。主はそれをわたしに隠して知らされなかったのだ。」
>>>師であるエリヤの話しの出だしの場合には、しばしば前もって神がこれから起きることをある程度示し、どう対処すべきか指示をしていたケースがありましたが、まだ経験が浅いからでしょうか。エリシャが語る通り、彼は事前に何も主から知らされず、状況を理解しようとします。
4:28 すると彼女は言った。「わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか。わたしを欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。」
4:29 そこでエリシャはゲハジに命じた。「腰に帯を締め、わたしの杖を手に持って行きなさい。だれかに会っても挨拶してはならない。まただれかが挨拶しても答えてはならない。お前はわたしの杖をその子供の顔の上に置きなさい。」
>>>エリシャはことの次第を女性から聞くと、弟子のゲハジに彼の杖を持って行って子どもが痛がっていた頭の上に置くように指示します。途中だれにも挨拶してならないとは、どのような意味なのか、それだけ急を要すると判断したからなのでしょうか。なんらかの応急処置なのでしょうか。エリシャは後から彼を追って行くつもりだったのでしょうか。謎の多い箇所です。
4:30 その子供の母親が、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしは決してあなたを離れません」と言ったので、エリシャは立ち上がり、彼女の後について行った。
>>>エリシャがかつて師であるエリヤに告げたように、彼女もまたエリシャに最後まで従おうとしました。この文脈からすると、エリシャは女性に懇願されて立ち上がり、彼もついて行くことになったと解釈する方が自然のようです。彼女の言葉は、どこまでも真剣に神の人に従って行こうとする意志が伺えます。この信仰こそ大切なのだということをエリシャは思い出したのではないでしょうか。魔法の杖のような道具ではなく、信仰こそ神の奇跡の源だと明確に理解し始めたのがこの時だったのかも知れません。
4:31 ゲハジは二人より先に行って、杖をその子供の顔の上に置いたが、声も出さず、何の反応も示さなかったので、引き返してエリシャに会い、「子供は目を覚ましませんでした」と告げた。
>>>ゲハジは指示された通りに行いますが、何の変化もないことを確認するとまた戻って来てエリシャに報告します。果たして彼は戻って来て経過報告をすべきだったのでしょうか。もう少し粘り強く子どもの癒しのために祈って奮闘しても良かったのではないでしょうか。
4:32 エリシャが家に着いてみると、彼の寝台に子供は死んで横たわっていた。
4:33 彼は中に入って戸を閉じ、二人だけになって主に祈った。
>>>ゲハジと違って、エリシャはまず主に祈ったことが語られています。これがエリシャよりもさらに未熟な弟子ゲハジとの大きな相違点であったと考えることも出来ます。
4:34 そしてエリシャは寝台に上がって、子供の上に伏し、自分の口を子供の口に、目を子供の目に、手を子供の手に重ねてかがみ込むと、子供の体は暖かくなった。
4:35 彼は起き上がり、家の中をあちこち歩き回ってから、再び寝台に上がって子供の上にかがみ込むと、子供は七回くしゃみをして目を開いた。
>>>エリシャが根気よく粘りながら子どもの癒しを祈ったことが伺えます。この甲斐あって子どもは7回くしゃみをしながら蘇生したことが語られています。7回のくしゃみとは何を意味するのか。7と言う数字は完全数です。このことから7度のくしゃみは肺活動を促し、体に必要だった血液の循環による全身への酸素の供給をもたらすためだったと考えたり、この出来事が神の御業だったことを示す手がかりとして受け止めることもできるでしょう。
4:36 エリシャはゲハジを呼び、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と言った。ゲハジに呼ばれて彼女がエリシャのもとに来ると、エリシャは、「あなたの子を受け取りなさい」と言った。
4:37 彼女は近づいてエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏し、自分の子供を受け取って出て行った。
>>>本来ならば奇跡による感動の親子対面をする場面のはずですが、意外なほどにあっけなく癒された後の場面は終わりを迎えます。生き返った息子を受け取った女性は、最後に地にひれ伏して最大限の礼を示してから子どもと一緒にエリシャの部屋から退出します。エリシャに少しでも早く休みを与えたいと言う配慮だったのかも知れません。それほどエリシャが憔悴しきっていたのかも知れません。
分かち合いのポイント
・この箇所もなぞの多い箇所です。しかし、なんとなくこの箇所のぎこちなさの中にかけだしの預言者エリシャの預言者としての試行錯誤の日々が伝わってくる気がします。そして預言者が力を発揮するために何が必要なのかということが問われていた箇所ではないでしょうか。あなたはどう思われたでしょうか。分かち合いましょう。
2016年9月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 9/04日 列王記下2章1-14節「エリヤを離れないエリシャ」
2016年9月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 9/11日 列王記下4章25-37節「手を手に重ねて」
2016年9月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 9/18日 列王記下5章1-19a節「神はここにおられる」
2016年9月 祈祷会・教会学校 聖書箇所 9/25日 列王記下6章32-7章11節「サマリアの城門で」
<参照箇所、直前の1~24節>
4:1 預言者の仲間の妻の一人がエリシャに助けを求めて叫んだ。「あなたの僕であるわたしの夫が死んでしまいました。ご存じのようにあなたの僕は主を畏れ敬う人でした。ところが債権者が来てわたしの子供二人を連れ去り、奴隷にしようとしています。」
4:2 エリシャが、「何をしてあげられるだろうか。あなたの家に何があるのか言いなさい」と促すと、彼女は、「油の壺一つのほか、はしための家には何もありません」と答えた。
4:3 彼は言った。「外に行って近所の人々皆から器を借りて来なさい。空の器をできるだけたくさん借りて来なさい。
4:4 家に帰ったら、戸を閉めて子供たちと一緒に閉じこもり、その器のすべてに油を注ぎなさい。いっぱいになったものは脇に置くのです。」
4:5 彼女はエリシャのもとから出て行くと、戸を閉めて子供たちと一緒に閉じこもり、子供たちが器を持って来ると、それに油を注いだ。
4:6 器がどれもいっぱいになると、彼女は、「もっと器を持っておいで」と子供に言ったが、「器はもうない」と子供が答えた。油は止まった。
4:7 彼女が神の人のもとに行ってそのことを知らせると、彼は言った。「その油を売りに行き、負債を払いなさい。あなたと子供たちはその残りで生活していくことができる。」
4:8 ある日、エリシャはシュネムに行った。そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めた。以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになった。
4:9 彼女は夫に言った。「いつもわたしたちのところにおいでになるあの方は、聖なる神の人であることが分かりました。
4:10 あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。おいでのときはそこに入っていただけます。」
4:11 ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横になり、
4:12 従者ゲハジに、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と命じた。ゲハジが呼ぶと、彼女は彼の前に来て立った。
4:13 エリシャはゲハジに言った。「彼女に伝えなさい。『あなたはわたしたちのためにこのように何事にも心を砕いてくれた。あなたのために何をしてあげればよいのだろうか。王か軍の司令官に話してほしいことが何かあるのか。』」彼女は、「わたしは同族の者に囲まれて何不足なく暮らしています」と答えた。
4:14 エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。
4:15 そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。
4:16 エリシャは、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。彼女は答えた。「いいえ、わたしの主人、神の人よ、はしためを欺かないでください」と答えた。
4:17 しかし、この婦人は身ごもり、エリシャが告げたとおり翌年の同じころ、男の子を産んだ。
4:18 その子は大きくなったが、ある日刈り入れをする人々と共にいた父のところに行ったとき、
4:19 「頭が、頭が」と言った。父が従者に、「この子を母親のところに抱いて行ってくれ」と言ったので、
4:20 従者はその子を母親のところに抱いて行った。その子は母の膝の上でじっとしていたが、昼ごろ死んでしまった。
4:21 彼女は上って行って神の人の寝台にその子を横たえ、戸を閉めて出て来た。
4:22 それから夫を呼び、「従者一人と雌ろば一頭をわたしのために出してください。神の人のもとに急いで行って、すぐに戻って来ます」と言った。
4:23 夫は、「どうして、今日その人のもとに行くのか。新月でも安息日でもないのに」と言ったが、「行って参ります」と彼女は言い、
4:24 雌ろばに鞍を置き、従者に、「手綱を引いて進んで行きなさい。わたしが命じないかぎり進むのをやめてはいけません」と命じた。